ケータイ小説的。 速水健朗 原書房 2008/6 文壇から無視されるケータイ小説を掘り下げると、ヤンキー鉱脈にぶつかった。先日ご紹介した『ヤンキー文化論序説』と合わせて読むと、日本のサイレント・マジョリティーについて理解できます。 郊外に住む少女を「ドーナツ娘」と呼ぶとすれば、ケータイ小説は、ドーナツ娘の、ドーナツ娘による、ドーナツ娘のための小説である。 彼女たちの住む郊外は、ファースト風土化が進み、情景のない世界になっている。国道16号線的地方社会の光景であり、ユニクロ、マクドナルド、TSUTAYAなど、郊外型ショッピングモールが共通の風景になっている。なので、小説の中に具体的な情景描写がありません。
東京がすっぽりと抜け落ちているのも、面白い現象ですね。上京とか、東京に(電車で)行くという発想がない地元志向もなるほどと思いました。それが、セーフティネットになっているんですね。
浜崎あゆみの歌詞がそのような背景を持つとは、気づきませんでした。私の世代的には、尾崎豊との対比がわかりやすい。
相田みつをが、同じ層に受けているというのも、意外。私の祖母ぐらいの層がメインと思っていましたが。
『ポップティーン』『ティーンズロード』を知らない私に取って、その投稿欄に、携帯小説の源流があったというのも新鮮な指摘。過激な投稿ばかりですが、編集者がつくり話の中のことと達観しているのが、面白いところです。
後半、デートDVとアダルトチルドレンの話もありますが、これは消化不良。よくわかりませんでした。
では。
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