【本】YKKの流儀

YKKの流儀

吉田 忠裕 PHP研究所  2017/8

創業者の吉田忠雄氏は、早稲田実業の通信教育を受けていたのですね。p.73 様々な苦難に会いながら、ファスナー世界一を目指す姿は心を打ちます。

忠雄氏は、勤めていた会社が倒産し、YKKを創業するのですが、東京大空襲で、工場を失っていたのですね。

独身者には100円、所帯持ちには500円を与え、一旦解散。忠雄の生まれ故郷の富山県魚津に新工場をつくると約束し、連絡先を伝えた上で、従業員をそれぞれの故郷に帰らせたのです。p.80

何もかも失い、借入金は残っていたかもしれないのに、退職金を支払いました。当時の大卒公務員の初任給が75円。大きな決断だったと思います。

終戦後すぐに生産再開。1949年には、米国から機械を輸入します。

4台の機械の購入代金は1260万円でした。資本金はわずか200万円ですから、実に6倍の金額です。p.84

興銀の富山支店が450万円融資するんですね。さすが、IBJ。しかし、伸銅工場を1949年に焼失。それでも、1ヶ月後に再稼働します。

私も小さなことで、悩んでいられないと思いました。

では。