北 康利 講談社 (2009/4)
北さんの作品は、現在連載中の『銀行王 安田善次郎』を紹介しました。今回は、以前ご紹介した『白洲次郎』を書いたときに、興味を持ったという吉田茂です。
言われてみるまで、日本に独立記念日がないのに気づきませんでした。本来であれば、独立を回復した日をお祝いすべきですね。
北さんの趣旨は、あとがきに集約されています。
「民主主義は多数決だ」という教育が戦後の不幸を招いた。
数にまかせて力をふるおうとする世論は、かつての反民主主義勢力よりもはるかに暴力的でかつ強欲である。「自分たちが主役の政治」を欲しながら、同時にまた強力なリーダーシップを持った政治家を求めている。こうした贅沢で矛盾した要求を恥ずかしげもなく堂々とできるのが世論なのだ。国民の政治を見る目は極端に幼稚になり、『嫉妬』という人間の最も卑しい感情が社会を支配しつつある。
議員の財産開示などという愚にもつかぬことが行われているが、国民はここからいったい何を読み取ろうとしているのか。蓄財をしておらず、浮いた話などなく、老朽化した官舎に住んで国会に電車で通う政治家が本当にこの国を幸せにしてくれるのか。重箱の隅をつついて政治家批判をする前に、国民は政策判断できる能力を身につけるべきであろう。(p.377)
吉田首相は、自由主義者ではあったが、民主主義者ではありませんでした。大衆にこびれば、道を誤るとわかっていたんですね。選挙に勝つために、タレントを大臣にすえる?という報道が出る今日この頃、往時の政治との差がよくわかりますね。
国民を飢餓から救うために、統計の数値をわざと間違えて報告した農水省の官僚が紹介されています。p.236 官僚もそういう政治家に負けない仕事をしていたんですね。
では。
Amazonの書評を読む
【参考】
・産経ニュース 2009/4/26 【著者に聞きたい】北康利さん『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』