初出 1999年6月
第1章 モンゴルへの道 Ⅲ.中国
3.北京
イ)宿探し
a)北京南駅
午後8:30。北京南駅に到着。駅が薄暗い。お母さんに、おんぶされた子どもが、半開きのドアに頭をぶつけて泣いた。少々眠いが、気を引き締める。 駅を出ると、客引きのおばさんたちが、旅館のパンフレットを見せながら集まってくる。他国ではだいたい男だが、中国では、おばさんが多い。 安宿は1泊1020元(150300円)。モンゴルのビザ情報が欲しかったので、バックパッカー御用達の京華飯店を目指す。
京華飯店 北京市豊台区南三環東路永定門外西羅園南里 電話 6722-2211

b)北京の大きさ
宿に電話。駅からは徒歩10分だという。夜で周りが見えない。宿の方角がわからないので、手当たり次第、道を聞いていく。まず、宿と反対側に出たことがわかった。永定門をまず探して、大通りをヒタスラ南下。商三環という高架の道路にぶつかったら、そこが洋橋。左折して、しばらく歩いて、京華飯店の看板を見つけた。 宿は道路の向こう側。道路幅が広く、横切れない。反対側に渡るためには、さらに数百メーター歩くか、もとに戻るしかない。北京は、 1区画が大きく、道を間違えると、取り返すのに、大変な労力がいる。結局20分以上かかって到着。
c)宿
一番安い20人用ドミトリー@25元(375円)は満員。4人用@35元(525円)にする。部屋は、まだ新しい。中庭に、小さなプールもあった。プール・サイドには、白いテーブルとイスが並べられていて、お酒も飲める。インターネット室も完備。 30分二15元(225円)で利用可能。中国の宿は、外国人用の高くてきれいな所と、中国人用の安くてそれなりの所に分かれていたが、選択肢は、広がっている。 京華飯店には、世界中の旅人がいた。中には、徒歩で世界一周中をというツワモノも。冬になって、べ-リング海峡が凍るのを中国で待っているとか。モンゴル・ビザ情報を入手して就寝。
7日日
支出 2.1千円(列車代など)
累計 58.8千円
(8.4千円/日)口)モンゴル・ビザ
a)北京ラッシュ
ネボケ・マナコを擦ると、外は雨。昨夜干した洗濯物を慌てて取り込む。気が進まないが、雨がっばを着て、モンゴル大使館へ向かう。 昨日、北京のスケール実感したので、今日は、バスに乗る。洋橋から66番に乗って前門まで行き、そこで9番に乗れば良いと言われたのだが、その66番が来ない。仕方ないので14番に乗る。0.5元(8円)。北京には、自動車が増えたが、自転車も健在。雨にも負けず、色とりどりのポンチョを着た人が、勤め先に向かう。後ろの座席に座っている子どもは、おかあさんのポンチョにしっかり入っている。自転車がバスを抜いていくと思ったら、渋滞にはまっていた。
結局、 4kmの移動にl時間かかった。北京の立派な道路で、こんなに渋滞するのは、車が増え過ぎということ。これでも、工事で改善されているらしいが、人々の経済活動の発展に追いついていない。
b)地下鉄
北京には、 地下鉄が2路線がある。東京に例えると1号線が東西線。2号線が山手線。急いで、京浜東北線や武蔵野線を造らないと、バンコックのような渋滞になりかねない。 地下鉄に乗る。切符の自動販売機はない。切符売り場のおばさんは、中腰で構えていて、まるでカルタ取りの名手のように、切符を投げてくる。2元(30円)払う。ホームへの階段に駅員がいて、切符を点検。ホームに入ると、多くの宣伝が目に入る。 建国門駅で下車。駅を出ると、日本企業の看板が目立つ。日壇路(Ri Tan Lu)を進んで、一本目の交差点を右折すると、モンゴル大使館の裏口に到着。ビザ窓口は、この裏口からしか行けない。必要事項を記載して、パスポートとともに提出。あっさり、手続きは終わった。
モンゴル大使館 月~金 申請 9→11:30 14へ16:30 受取15:30へ16:00
一次ビザ 料金 通常 400元か40$ (3営業日後) 至急 600元か60$ (26時間後) (T/C不可)
トランジット・ビザ(48時間有効) 料金 通常 30$ 至急 60$
至急を選んで、午後受取にした。 26時間後というのは、午後に申請してしまって、翌日になることを指しているのかもしれない。
ハ)北京の横顔
a)銀行
ウランバートル行の乗車券を買いに北京駅に向かう。チケットを買う中国元が足りなかったので銀行へ寄る。バス停を降りて、目に入った看板を目指すのだが、これが遠い。到着するまで、 10分ほど歩くハメに。 北京は歩く街ではない。南部の都市では、歩いて回れる範囲に店がある。北京は、そうはいかない。 ズブ濡れになりながら、銀行に到着。しっかりとした門構え、きれいな室内、ひまそうな行員、昔の日本の銀行のようだ。日本円を元に替える。 1万円=679元(14.73円/元)。
b)「超市場」
雨が激しくなったので地下街へ。そこは巨大なショッピング・センターになっていた。ユニバーサル・スタジオをテーマにしたコーナーなどがある。社会主義じゃなかったっけ?と思うと隔世の感がある。数千年にわたってアジアでの覇権を維持し、戦後は、アメリカ、ソ連と対立して、独自路線を歩んできた中国が、アミューズメントやスーパーマーケットといった、アメリカ文化そのものを受け入れている。「無血革命」と言ったら大げさだろうか。
1990年に、中国に来て最初に覚えた単語は「没有(メイヨウ)」=無い だった。今回は、一度も、この言葉を聞かない。スーパーには食品が積み上げられている。コーラや、カップ・ラーメンなど、日本人が目にしているような製品が、当たり前のように並んでいる。値段は高いが、中国人客もちゃんと買っている。これが、数年前まで、外国人ように貨幣を別に作って、外国人には、外国人向けの店で買い物をさせていた国なのだ。
食パン(8枚切り) 2.4元(36円) インスタント・ラーメン 2.5元 カップ・ヌードル 3.5元 キリン・ラガー 5.9元(88.5円) アルカリ電池(単3)×4 9.0元(135円)
サービス業も、立ち上がり始めている。ビザ申請に必要な写真は、 4枚を8元で撮ることができる(18分)。世の中変われば、変わるものだ。
二)モンゴル行きの切符
a)北京駅
地下道を抜けて、北京駅へ。全面改良工事中。切符の売り場も臨時窓口らしく、どこへったらいいのかわからない。出発口から入ると、国際線は2階。聞くとVIP窓口だという。明日のウランバートル行きは売り切れ。呼和浩特(フフホト)発の乗車券ならあるとの返事。とりあえず、いったん断って、表に出る。
b)CITS
正面の通りを出て、北京国際飯店へ。1階に中国国際旅行社(China International Travel Service、CITS)が入っている。 12~13:30までの休憩時間とのことで、ちょっとトイレに。中国の昔の便所は、仕切りと穴があるだけだった。大人たちが、用を足しながら、世間話をする。ここのような一流ホテルのトイレは、さすがにきれい。2つのトイレは扉で仕切られているものの、中に入っている二人の中国人は、用を足しながら、大声で話をしていた。中国の伝統は、まだ健在だった。
13:30にCITSに戻る。火曜のウランバートル行きのチケットを求めると、あっさり購入できた。559元(8,385円)。 50元が手数料のようなので、もし、北京駅で買えたら、その分安く買えたのかもしれない。
ウランバートル行 23次 個人 グループ デラックス 949 810 軟臥 778 639 横臥 559 464
ホ)ビザ受取
モンゴル大使館に戻る。 14時に事務所は開いていたのだが、ビザの受け取りは15:30からなので1時間ほど時間をつぶす。辺りの市場へ。 昔と変わらぬ、ひと坪の店が、ズラりと並んでいて、何だか安心する。働いているのは女性ばかり。男は、将棋を指したり、トランプしたり。客が店にいるのに悠然としている。日本の男が 60才を越えても普通に働いているのとは対照的。
15:30に大使館に戻りビザ取得(60ドル)。 有効期限は、だいたい1週間ぐらいだろうぐらいに申告していたが、その通りに認められている。余裕をもって、30日ぐらいにしておけば良かったと後悔。
へ)9年の重み
a)天安門
バスで天安門へ。 9年ぶりに見る広場は、かつての天安門ではなくなっていた。天安門事件(1989年)の後に訪れた時、広場は緊張感で張り詰めていた。100万人が集まっていた場所には、ビラひとつなく。警官が、あちこちに立っていた。日本からは、一番地味な服装をして行ったが、北京ではマトモに見えた。観光客は、小さな子どもを連れた家族中心。写真を撮る時に、妙に凝ったポーズを取るのが微笑ましかった。 ところが、今は、さまざまなファッションの若者が広場を闊歩(かっぽ)している。私の服装は、みすぼらしく見える。写真を撮る人も、だいぶ慣れた様子。リラックスて、レンズを見つめている。警官の気配は無い。9年前と変わらないのは、人民服を着た毛主席の肖像画だけだった。
b)王府井(ワンフーチン)
王府井を歩く。ただいま、全面工事中。道路を拡張し、両サイドの店を建て直している。日本では、なかなかできない荒ワザ。銀座の中央通りの道幅を10メートル広げるために、三越も和光も建て直すようなもの。民主主義国の市民感覚はない。 居並ぶデパートは、どれも巨大。歩くけで疲れてしまう。道路が広くなれば、人の密度が薄まり、「市場」という感覚がなくなる。道路も車中心で、身体の不自由な人が、安心して渡れるようになるとは思えない。中国の首都の目抜き通りという重責。ユーザー視点ではなく、為政者のメンツが公共投資を決める。
