株式会社の起源

株式会社は、イギリスで始まったと思う日本人は少なくないと思います。諸説ありますが、有力な説の一つがオランダ東インド会社(Vereenigde Oost-Indische Compagnie)です。私は、オランダに住んで、こちらの説の方が説得力があると思っています。

先日、ピケティの本を紹介しました。データからわかるのは、17世紀の欧州は富が貴族に集中しており、いまとは比較にならない格差社会だったということです。

http://piketty.pse.ens.fr/files/equality/png/F6.png

この絵は、イタリアグイド・レイニの作品(1640-1642)。マリア様ですね。この時代に絵画を作成できるのは教会か貴族だったわけです。欧州で教会巡りをすれば、絵画が文字の読めない農民にキリスト教を布教するためのメディアだったことがわかります。

同じ頃に描かれたレンブラント夜警(1642)を見てみましょう。たくさんの市民が描かれていますね。

「夜警」の正式名称は『フランス・バンニンク・コック大佐とその民兵連合』)です。アムステルダムの伝統的な市民組織である民兵団(schutterij)のために制作された集団肖像画です。制作資金は、民兵団が負担しています。

17世紀のオランダでは、地域の治安維持や儀礼行事の一環として民兵団が非常に重要な役割を果たしており、彼らは自らの組織の威信や結束を示すためにこのような集団肖像画を発注するのが一般的でした。レンブラントがこの大作を描くことになったのも、こうした背景と、民兵団内での自負心や連帯感を強調する意図からでした。

Het Rijksmuseum

蒸気船がないこの時代、喜望峰を超えてインドに渡航するというのは、いまでいえば火星への有人飛行のように危険なミッションだったでしょう。その資金を市民から割り勘で調達し、一攫千金しようというのが東インド会社(株式会社)だったわけです。

最近、株式を巡る議論を読みました。

400年も経過すると、日の出ずる国では「富裕層優遇・庶民切り捨て」と株式投資が批判されることもあるのですね。

オランダから学ぶことはまだまだありそうです。

では。

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