【本】フランクリン・ローズヴェルト

フランクリン・ローズヴェルト 久保文明 山川出版社 2024

第二次世界大戦でリーダーシップを発揮した米国大統領。改めて足跡を追うと学びも多かった。

ちょっと笑えるのは、1887年、クリーヴランド大統領からかけられた言葉。

坊や、決してアメリカ大統領にならないようにね。

トランプ大統領は、ディール好きだが、ローズベルトが打ち出したのも、「ニューディール」だった。大恐慌対策だったとはいえ、社会主義的な政策を全国規模で実施した。ローズベルトの右腕、ホプキンズの言葉。

彼に施しをすれば、彼の肉体を救済するが、精神を破壊する。彼に仕事を与え、一定の賃金を支払えば、肉体とともに精神も救済するのだ。p.23

ローズヴェルトにとって不本意であったのは、37年後半からの景気後退であった。この原因の一つは、均衡財政に強くこだわるローズヴェルトが財政均衡を達成しようとして財政支出を縮小したからであると推測される。p.50

選挙に負けた民主党は、世界大戦の暗雲に巻き込まれていく。

ローズヴェルトはアメリカが直接攻撃されないかぎり、ドイツに宣戦布告をするのは難しいと考えていたが、同時にイギリスが敗北しないように、戦争直前のところまで支援したいと、チャーチルに内々に表明していた。その理由は、イギリスとその海軍力が失われてしまえば、海上の自由についての原則など、アメリカの安全保証についての前提が崩壊してしまうkらであり、アメリカ国民はナチの脅威に怯えながら生きていくことを余儀なくされるからであった。p.55

先日の台湾を巡る国会の議論を思い出す。

対日政策については、

ハルとウェルズは例えば石油の禁輸は戦争を誘発すると考え、やや融和的な方針を提唱した。ローズヴェルトも後者を支持した。
 しかし、日本が41年7月下旬南部仏印進駐を開始したのを受けて、アメリカはただちに在米日本資産の凍結、ついで対日石油輸出の全面禁止という経済制裁で対抗した。ローズヴェルトは禁輸を避けるつもりであったが、対日強硬派の官僚によって事実上禁輸になってしまった。p.75

国際政治の難しさを感じるのは、ポーランドの記述。

ポーランドは39年以降、最大の犠牲者かもしれない。30年代のポーランドは軍備を縮小して、ドイツとソ連という隣国への脅威をなくし、侵略の口実を与える機会を回避するためにできることはほぼなんでもした。しかし、まさにそれゆえに、ヒトラーとスターリン双方による侵略を誘発した。p.99

80年前の話が現代に重なるのは、なんとも不気味ではありました。

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