ハンニバル戦記を読んで、700年続いたカルタゴが滅亡するというのは、どれぐらいの時間軸が気になりました。カルタゴがローマに負けたザマの会戦と太平洋戦争敗戦を合わせると、下表のようになります。
室町幕府が2001年に滅亡したようなものなのですね。私にとっては、「京都の室町ってどこ?」という感じですが、700年つづいた都が滅ぶという衝撃はどれほどだったのか、ちょっとだけわかりました。
第一次ポエニ戦争が、日本でいうところの下関事件あたりでしょうか。欧米列強の圧倒的な火力の前に、植民地化の危機にありました。
そこから、体制を立て直し、ハンニバルのアルプス超え&カンネの会戦でローマに勝利するあたりが、日清・日露戦争的な気がします。
しかし、カルタゴは、戦争に勝利しても、占領地をうまく管理できませんでした。傭兵中心の軍で、市民を育成できなかったのが遠因と私は思っています。
カルタゴは、第2次ポエニ戦役に破れ、50年払いの賠償金を課されました。軍事行動の自主決定権も剥奪されました。経済国として生きたのは、日本と共通しています。経済に集中した結果、覇権国が脅威に感じるほどの経済力を持ったのも似てますね。
ローマ・シリア戦争(BC192)で、ヌミディアは兵糧に加え兵力を提供しました。カルタゴは兵糧のみ。ローマは、兵糧は有償で買い上げ、兵力の提供は受け入れました。湾岸戦争のようです。
ヌミディアと紛争が起こる度に、ローマの判断を仰いだが、ヌミディアい有利なものばかり。最後は傭兵を雇って、ヌミディアに対抗しましたが、負けてしまいます。ローマに許可なく再軍備したと見なされ、第3次ポエニ戦役が勃発。ローマに滅ぼされてしまいました。
隣国の核武装を抑制できない日本が重なって見えますね。
では。