【石ころ】第2章 昆明

1. 石林
イ. 石林への道
あれほど、チベットで苦しんでいたのに、高度を下げれば元通り。何事もなかったのように世界遺産の石林に向かう。
市バスに乗り、バス・ターミナルを目指す。行き先を告げる。

「Wu San San Yi Yuan」

46歳という年齢を忘れて大きな声で伝えたつもりが、運転手は、顔を思い切りしかめて「はぁ?」と(中国語で)言う。どの言語でも、固有名詞の発音は難しいが、声調のある中国語ならなおさら。俺は、「五三三医院」と漢字で書けるんだぞ!と思いつつ、2元(40円)払って席につく。バックパッカーにとって、路線バスで移動するというのは、最高度の技術を要する。まず、路線がわからない。分かったとしても、行き先を現地語で伝えないと、料金を払えない。乗車ができない。そして、どこで降りるのかもわからないからである。

チベットから戻り、改めて、中国とその周辺地域との障壁は、言葉との思いを強くする。難解な表音文字と声調。漢字の読み書きを正しく覚えるだけで10年かかる。それを10億人がやっているだけに、その周辺にいる人にも、「ちゃんと話せ」という圧力がかかる。その一つの発露が、さっきの運転手の「はぁ?」という顔につながる。日本は、敗戦で漢字教育をやめなくてよかった。
通勤時間だけあって、道路は混んでいるが、重症にまでは至らず。通勤メインが、電動スクーターということもあるが、立派な道路が混雑緩和に貢献していると思う。中国人は、自動車が普及する前から大通りを造ってきた。
ヨーロッパを歩くと、馬車を感じる道が多くある。2台の馬車がちょうどすれ違えるような石畳。あちこちにあるランダバウト(roundabout)。自動車時代には、信号機が合理的だが、馬が交差点に殺到したら大混乱。ランダバウトなら、パドックのように馬たちをさばける。
日本は、どこか農道を感じる道路が多い。世田谷あたりだと、行き止まりになっている道が舗装されている。
その点、中国は、主な都市には、皇帝が行軍しても恥ずかしくない大通りがあり、自動車時代になってなお、その基本設計が生きている。やがて、過大投資の維持費に苦しむ運命にあろうと、いまは、これで大正解。
この段階でも、SIMカードを入手できず、スマホからネットが使えない。たとえネット接続ができたにせよ、中国は、Googleが遮断されているため、Google マップは検索できない。久々に野生のカンに頼った移動。
大きな病院の看板があったので、五三三医院で下車はできた。東部バスターミナルへ乗り換えなければならない。素晴らしいのは、前述のとおり、バスの路線が、看板にわかりやすく書いてあり、日本人はその漢字が読めること。东部客运站行きのバスは60番だが、全く来ない。しびれを切らして、同じ方向のバスに乗車。ターミナルらしい場所で降りたが、そこは、昆明金殿という、別の観光地だった。