【浦潮】2-Ⅳ ウラジオストック商業港

花屋さん
町の中心街に戻ると、やたらと花屋がある。こんな朝早くからなんで花屋が開いているのか。マクドナルド(MAP)も、セブンイレブンもないのに、24時間営業している店もあるらいし。
ロシアでは、国際女性デー(3月8日)に男性から女性に花束を贈る。この日は花屋が大忙しで、男性は花を贈りそびれると、1年祟るとか。この日はともかく、これほどまでに店が多いのは、男性が花を買う(買わざるを得ない?)ことが多いのか。
マクドナルドといえば、旧ソ連1号店@モスクワができたのが1990年。2000年に、サンクトペテルスブルグの店に行った時には、アッパーミドルのおしゃれな外食先だった。モスクワの1号店ができてから20年たっても、マクドナルドは、ウラジオストックには来ない。それがロシアの現実だ。

Ⅳ.ウラジオストック港
ウラジオストック港へ。丘から港全体が見下ろせるところは天然の良港であることが多い。金角湾は加えて対岸が見える。自然のドックになっている。
ウラジオストック港には、ソ連海軍太平洋艦隊があり、ソ連の崩壊する1991年までソ連国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だった。外国貿易は、ナホトカが請け負っていた。
ウラジオストック商業港は、1992年に開放されてから発展し、極東諸港の中ではヴォストーチヌイ港に次ぐ取扱量に育ってきた。ウラジオストック商業港の取扱高は591万トン(2008)。コンテナ取り扱い数は、24.2万TEU(2008)。
港でまず目に入るのが、17ものバース。シンガポールや上海とは比較にならないが、やっぱり大きい(コンテナ貨物数の世界ランキング(2009))。
次に目立つのが、10階建ての立体駐車場駐車場。中古車の関税アップでガラガラと思いきや、新車で満杯。
目の前にはシベリア鉄道の引込み線。港で荷物を降ろすと、すぐに9200km先のモスクワにつながる線路がある。これは、強烈な売り込みポイント。気付かなかったが、黄色いのは小松のブルドーザー。そのままアメ横に並ぶカニのように縛られてそのまま貨車に載せられている。となりの貨車の中を覗くと、自動車が入っていた。これまた、そのままモスクワに運べる。
シベリア鉄道直結という最強のカードを持っていながら、ウラジオストックは陸海の連携が弱い。鉄道、港湾、海運会社は、別会社(の子会社)であり、その本社は、9千キロ先のモスクワにある。とてつもない可能性を秘めていながら、地政学的な原因で力が発揮できないでいた。
FESCO(Far East Shipping COmpany, 極東船舶株式会社)は、極東地域最大の民間船舶会社。ウラジオストック商業港(VMPT)は、ウラジオストック港最大のターミナル運営業者。親会社は、マグニトゴルスク冶金コンビナートだったが、2007年にFESCOが同社とウラジオストック港最大のコンテナ業者VCT(Vladivostok Container Terminal)に過半出資を決めた。FESCOのイワシェンコ・ダイレクターは、海陸一貫サービスを明言している。
東アジアの完成車は、フィンランドやバルト海経由でロシア西部の都市に配送されてきた。自動車専用船の欧州航路を利用し、ハンコ港などフィンランド港でロシア向けフィーダー船ないしトラック輸送に接続している。この場合、モスクワ近郊までの輸送日数は約60日。しかし、シベリア鉄道利用では、フィンランド経由に比べてコストはほぼ同レベルながら、輸送日数を半分以下、カザフスタン向けなら3分の1に短縮でき
る(CARGO Nov 2008)。
日本は、ヨーロッパとの交易をシンガポール-スエズ経由の海運に頼ってきた。しかし、この地域が「不安定の弧」となり、逆に冷戦時代に敵対してきたソ連に資本の論理が働いて普通のロシアとなった。北極から眺めれば、シベリア鉄道の優位性は明白。坂の上の雲から100年。ウラジオストックがまたまた面白くなってきた。

【参考】
ERINA REPORT Jan 2009