【浦潮】第3章 坂の上の雲

坂の上の雲 」を観ていたら、広瀬武夫少佐が、花売りの少女から花を買っていた。ロシアは110年前にすでに普通に花を買う習慣があったのだろうか。

日本男子が女性のために花を買い始めたはいつだろうか。江戸時代の武士に、そんな習慣がなかったとしたら、明治維新から30年で、広瀬少佐は、日本男子としてロシア人女性のために花を買ったことになる。国運を背負った駐在とはいえ、すごい現地への溶け込み方。
前回、ロシア人女性にいろいろ書いたが、そんなもの読むよりも、アリアズナ女史を観てもらう方が早かった。広瀬少佐と出会ったのが16歳。もちろんドラマはドラマだし、110年前の話なのだが、10代にして急激に大人びるロシア女性をご理解いてだけると思う。
蔵相セルゲイ・ヴィッテは、シベリア鉄道を建設に影響を与えている。現代日本でも、整備新幹線は財務大臣の頭痛の種である。110年前の、しかも、社会主義革命が起きてしまうほど国民が困窮していたロシアで、9000kmの鉄道を作るのは、運輸・大蔵大臣の英断なしにありえない。
そのシベリア鉄道の起工式に参列する途中、1891年に来日して大津事件に巻き込まれたのが、 ニコライⅡ世(当時皇太子)。皇太子は1868年生まれで、秋山真之と同級生。当時22歳。この「花の68年組」が、日露戦争が直接ではないですが、対決します。ニコライⅡ世は、日露戦争後おこったロシア革命で退位。1918年に殺害されます。同じ年に秋山中将も死去しているのが、興味深いところです。
皇太子は、大津事件後ウラジオストックに到着。ニコライⅡ世凱旋門が、いまでも残っている。ま、パリと比べると、だいぶ小さいんですが。