グラスゴーの博物館を訪れて意外だったのが、ジェームズ・ワットの展示。蒸気機関の父の出身地が、ロンドンではなく、これほど北(田舎)なのを私は知らなかった。
家族類型の地図を眺めて、納得が行った。アイルランドからスコットランドの地域は、日本と同じ直系家族だったからだ。
子供が親と同居し、父親が長男に技術を継承する。モノづくりが得意な家族類型だが、イギリスもそうだったのだ。
世界で初めて蒸気機関車が走ったのもロンドンではなく、ストックトン~ダーリントンで、かなり北(田舎)だった。
ロンドンのある絶対核家族は、親と同居せず、長男が家を継ぐわけでもないので、子どもたちは世界中の海に気軽に向かっていった。地元の墓守をする直系家族の長男はそもそも、実家を離れるわけにはいかなかった。
イギリスが大英帝国になるには、この絶対核家族のカルチャーが不可欠だった。
しかし、リバプールが、イギリス第2の貿易港になったのは興味深い。ここは、絶対核家族と直系家族の中間地域、核家族なのだが父親と同居する地域だからだ。奴隷貿易で栄えていた港に、蒸気機関がやってきたとき、リバプールを出港する船が爆発的に増えたろうことは想像に難くない。タイタニック号を所有していたホワイトスターラインの本社は、リバプールにあった。
そんな街に育った若者は、エレキギターを演奏し、世界中に歌を届けることに何の躊躇もなかっただろう。私がリバプールを歩いても、なんの曲も思い浮かばなかったので、彼らが曲作りの天才であることは変わらない。しかし、この街が彼らの飛躍に一役かっているのはよくわかった。