富山駅前は、昔が思い出せないほど立派になっていました。まるで、シベリア鉄道に乗った後のモスクワのようでした。ロシアという国は、空路でモスクワに行くか、陸路で入るかで印象がまるで違ってきます。飛行機で来ると、パリのようなヨーロピアンな国と思うかもしれません。しかし、陸路で来ると、広い広いユーラシア大陸から収奪した富で造ったのがモスクワ(とサンクトペテルブルク)と感じるのです。
私がそんな印象を受けたのは、前日の雨で高山本線と城端線が止まっていたからです。田舎のインフラはいまだ整備途上なのに、県庁駅はピッカピカ。そんな対比が思い浮かびました。
アムステルダム駅を見慣れていたからかもしれません。ピッカピカどころか400年前?の景観を残しています。話題になるのは、高層ビルというよりも、循環社会の試み。廃材を使ったおしゃれな区画が、話題になったりしています。
高岡駅に降りると、北口の商店街の人通りは、ここ15年見てきた中で最小になっていました。駅舎と駅ビルを改築したにもかかわらずです。南口に至っては、葬儀屋のビルがあるだけで、ずっと駐車場が続いていました。
通常、公共投資をすると、利便性が高まって周辺の地価もあがり、税収も上がって回収ができると思うのですが、高岡ではそういうムーブメントが感じられませんでした。新幹線駅を別に造ってしまったことが10年響いているように思えました。
参議院選挙で元首相が遊説に訪れ、人員が動員されていましたが、もう、ブラックジョークです。
15年ほど前に駅前商店街に来た時に、最初に思いついたのは、ミネアポリスのスカイウェイです。ミネソタはマイナス40度になることもありますが、ビルの2階をつなぐことで、外気にふれることなく街中歩いて回れるのでした。
ドカ雪の降る日本海側ではそれしかないと思ったのですが、それを実現したのはイオンでした。高岡のイオンは面積が倍になっており、一度、モールに入ってしまえば、快適に過ごせるようになっていました。
事態の深刻さを実感したのは、隠れた名店がなくなったことです。富山の楽しみといえば、東京では食べれないおいしい魚や蕎麦をだったのですが、コロナで閉店が相次ぎ、予約なしで入れる店がなくなっていました。結局、イオンで食事をすることになってしまいました。
オランダからの客人を連れて行く店がなく、結局イオンという現状で、インバウンド需要を取り込めるわけがありません。コロナが終われば、地方に活気が自動で戻るわけではないのでしょう。
オランダの飲食店の限界についてはいろいろ書いてきましたが、地元と小さな商店を大切にするというのは特筆すべき点です。小売店は、Albert Heijn などの大手の寡占が日本よりも進んでいますが、地元の小さな店でネジを買ったり、写真を印刷したりしようという気持ちは、日本より強いと感じています。結局、そこに住んでいる人に収入がないと、街が成り立たないというコンセンサスは、強くあると感じています。
なんで、富山駅がこんなに立派になったのでしょうか。たぶん、先に、北陸新幹線で金沢駅が立派になったからなんでしょうね。私が「インスタ病」と呼ぶもののせいでしょうか。
世界200都市を回ってわかったことは、世界の99.9%の場所はキラキラしていないことです。普通の人が普通に(ダサい格好で)生活しています。ところがインスタは、残りの0.1%のキラキラしか表示しません。
富山の良さは、都会のようにバッチリメイクしなくても楽に過ごせるところだったはずなのに、インスタができてからは、世界一美しいスタバの写真をアップするようになりました。SNSの影響が大きすぎて、富山もキトキトでなく、キラキラしたものを求めるようになりました。
アマゾンにイオンが負ける日が来たら、こうした地方はどうなってしまうのでしょうか。
では。