原発事故を見ていると、98年の金融危機と重なって見えるところもありますね。
1.危機の本質を理解するには、高い専門知識が必要で、一般の人には分かりにくい。 しかし、
2. 危機の影響は広範囲に及び、しかも甚大。
原発: 放射能汚染
銀行: 取り付け騒ぎ
なので、人々の不安を解消することは困難で、悪い方へと想像が膨らむ。メディアはWorst Senario の方が数字&部数が取れるので、そちらに流れる。
3. 対応するのは「平時の組織」
電力会社社員も銀行員も、平時には抜群の事務能力を発揮します。有名大学卒の就職先であり、優秀な人材で組織されているが、官僚組織であり、秩序や合議を重んじる。突然の対応は、どちらかというと苦手。
4.平時は政府(行政)とあうんの呼吸なのに、有事に役割分担がうまくいかない。
相手の顔が見えるだけに、責任追及/分担ができない。
5.広報が苦手
長銀も東電も大多数は「キャラ」を消して組織人として動くことで力を発揮する人たちなので、スタンドプレイで大衆のココロを掴むような広報は望めない。
6.問題の解決にそもそも時間がかかる
金融も原発も、一度壊れたら修復に10年単位の時間がかかるものですが、国民はその時間軸に耐えられない。水戸黄門は40分たったら印籠が出てくる。
7. 苛立ちは政治家に向けられ、どこかに拳が振り下ろされる
長銀の頭取は、結局、無罪になりました。
12年前の自分に声をかけるとしたら:
1. 無限責任を感じても、世の中が変わるわけではない
当時は、自分で自分を責めてしまって、銀行を辞めたわけですが、それで日本が救われたわけではありませんでした。
2. 社内を変える努力はすべきだった。
こういう組織で働いたことのない人に説明するのは難しいのですが、あれほど優秀な人が集まっている巨大な組織で、自分が経営を変えるほどの行動が取れるとは考えられませんでした。しかし、それはやってはみるべきだった。
3. 痛みは避けられない
JALもそうですが、一度、信用が崩れた大会社は、失業の痛みを避けられません。これはどこかで甘受して、リスクを取れる人が率先して取るべき。当時自分は20代後半で、独身だったので、思い切った行動がとれたわけですが、それは正解だったと思います。「なぜ自分だけが」と言っても、得るものは多くありません。
4. 人脈は大切に
当時、自分は責任を感じて辞めてわけですが、残った人は、それこそ死に物狂いで日本の金融システムを守っていました。「銀行を見捨てるのか」と言われてもしかたのない状況でしたし、辞める人から見れば、これほど迷惑をかけているのに責任を感じ無いのかという批判もできました。従業員間に亀裂が入りました。
しかし、10年経つと、当時のメンバーが、非常に貴重な人脈になっています。重大な問題が起こったにせよ、その業界では不可欠なエキスパートの集まりであることには違いないのです。10年後、日本がスマートグリッド大国として蘇ったとしたら、様々な分野に元東電社員が活躍しているかもしれません。最期の一歩のコミュニケーションは断ち切るべきではないと思います。
では。