家族、使用人、敵

この記事を読んでいて、田中真紀子氏の言葉が印象に残りました。

なぜ晩年の田中角栄は「寂しい老人」だったのか…池上彰と佐藤優が考える「田中軍団」を支えていた残酷な力学 「人間には家族と使用人と敵の三種類しかない」という言葉の真意 (2ページ目)
【池上】その経世会の話になると、私はNHK時代を思い出すんですよ。当時、報道番組部長時代に「ニュースセンター9時」「NHK特集」をスタートさせたシマゲジこと島桂次という会長が君臨していて、その下に週刊誌に…

【池上】さきほど「忠誠心を見ている」とおっしゃいましたが、そういう利害関係しか築けなかったのは、やはりボスの「責任」ですよね。いみじくも、かつて娘の田中真紀子氏が外務省幹部に向かって言い放った「人間には家族と使用人と敵の三種類しかない」という発想だったのでしょう。

 これこそ直系家族らしい言葉だなと。オランダのような核家族地域に住んでいると、日本の直系家族社会がよく見えてきます。ひとつが、上述の敵か味方かというような見方です。もちろん、オランダにも敵味方はあります。しかし、それは、血筋のような、動かしがたいものではないのです。

 日本人は、血筋を肯定することが多いと思います。天皇家はもちろん、歌舞伎もそうですね。安倍首相の後継も、自然に親族になってないでしょうか。それは動かしがたいだけに、家族以外の差別につながりかねません。うがった見方をすれば、日本人のブランド好きも、そうした血統の延長線上にあるように思います。

 一方、オランダは、あくまで個人はバラバラで、契約書ベースでモノゴトが進みます。ロシアに制裁を課しながらも、ガスは買い続けていたというのも典型ですね。背景には時代によっては、敵にも味方にもなりうるという思考が透けて見えます。

 味方には上下関係をつけ、使用人として働くことを求め、敵には容赦しないというのはなんとも直系家族的な発想だったなと、元外務大臣の発言を振り返ってみました。

では。