【本】民族問題

民族問題

文春新書 佐藤 優 2017/10/20

著者が、同志社大学 東京サテライト・キャンパスで行った10回の講義記録(2015春)。世界で起こっている紛争の背後には、民族問題があることがわかり、参考になりました。我々が民族問題を学ぶ理由。ひとつは、グローバリゼーションの進展。

もうひとつは、我々ほとんどの日本人にとって、民族というのは、非常にわかりにくい問題だからです。それは「日本人」というのが「大民族」だからなんですね。

その民族の概念も、実は250年ほどしか遡れません。p.15 人は大昔から住んでいても、民族として確認できるほどに鳴ったのは、最近なんですね。

民族の核についての考え方は、原初主義と道具主義

原初主義に立脚した民族理論の中で、一番現実に影響を与え、なおかつある程度、現象を説明できるのは何かといえば、実はスターリンの民族定義なのです。p.35

ちょっと笑えるのは、こちら。

 思想にはレベルの低いものと、レベルの高いものがある。そして、思想には影響力のあるものと、影響力のないものがある。この両者の間には、実は相関関係はないんです。p.35

肝心の定義は、p.59
民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である。

この定義によると、ユダヤ人は、「民族」ではないんですね。心理状況を入れることによって説明できるのが日韓問題。

「独島」、あるいは「慰安婦」「徴用工」などの、いわうる歴史認識の問題には、韓国人の間では確実に捉えることができる何かのイメージがあって、それが非常に大きな力になる、

一方ベネディクト・アンダーソン(Benedict Richard O’Gorman Anderson想像の共同体』(Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism)、の国民の定義。

国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である。p.66

ここには、言語、地理的、経済的共通性がありません。アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner)『民族とナショナリズム』(Nations and Nationalism,1983)議論した後、第6章では、アントニー・スミス(Anthony David Stephen Smith) 『ネイションとエスニシティ』(The Ethnic Origins of Nations,1986)を基に、沖縄問題を議論しています。

「民族」という概念は、どんなに過去に戻っても18世紀の半ばより前に遡ることはできません。具体的に言うと、1789年のフランス革命以降に流行となった現象です。p.183

スミスは、まずエトニーを定義、P.184。

エトニとは共通の祖先・歴史・文化をもち、ある特定の領域と結びつきをもち、内部での連帯感をもつ、名前をもった人間集団である。

「ネイション」は近代の産物だが、前近代においても存在する、そのものとなるもの、それが「エトニー」 エトニーの一部が民族を作る。6つの特徴を内包したのが前述の定義。

埼玉人、京都人、会津人、沖縄人を比較しながら、沖縄が「民族」足りうると論じています。p.192
家族類型的に興味深かったのが、p.199

日本は一見、血統を重視するようにみえるけれども、イエ制度があって、養子をとることができる。だから実際には、血統原理ではなく、イエによって継承されます。それに対して沖縄はトウトウメという形で家督が相続されるときに、養子では駄目で、甥に相続させる。

歴史認識も異なっています。p.200

沖縄にとっては、明治維新なんてまったく重要ではありません。沖縄で重要なのは1854年の琉米修好条約です。このれっきとした国際条約において、琉球は国際法の主体である国家として認められた。それから1855年の琉仏修好条約、1859年の琉蘭修好条約という3つの国際条約によって、地位が保全された琉球王国が、1879年の琉球処分によって、琉球国の承認を得ることなク、一方的に併合されたというのが沖縄にとっての明治

日本政府の鈍感さを示す例として、米海軍が1944年に作成した、Civil Affairs Handbook を紹介しています。米軍は、沖縄戦の前に、全域調査を行っていました。むしろ、遠くに居たアメリカ人の方が、正確に沖縄を理解していたのです。

最後に、松島さんの『琉球独立宣言』を紹介していましたが、著者は、強く反対していました。

では。