【本】ローマ人の物語

ローマは一日にして成らず(上)

塩野 七生 新潮文庫 2002/6

Res Gestae Populi Romani
Roma non uno die aedificata est.

日本の政治を考えたかったら、ギリシャ、ローマ人から学べるかもしれません。久々に、山川の世界史の教科書を開いてみました。前753年のローマは建国あたりから、前460年にテミストクレスが自殺するあたりまでの300年間。

宗教については、p.67

多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである。

当時の先進国、ギリシャの様子も描かれています。印象的なのは、マラトンの戦いの後のアリステデス(穏健派)とテミストクレス(急進派)対立。

急進派の考えは、常に穏健派より明快なものである。p.184


以下下巻

民主政だったアテネに30年君臨したペリクレスについて。

彼自身が民主的でなかったからこそ、民主政を巧みに機能させることができたのだと思う。p.15

歴史家、トゥキディデスの観察は、p.26

外観は民主政だが、内実はただ一人が支配する国。

政治の安定について、考えさせられる一言ですね。一方、ローマは、貴族と平民の間の争いが絶えず、異民族の侵略を許してしまいます。様々な政体が試みられるのですが、『歴史』(Historiai)を執筆したポリビウス(Polybius)のローマの政体の考察は、p.80

執行官にのみ照明を当てれば、王政に見える。元老院の機能にのみ注目する者は、貴族政以外の何ものでもないと言うだろう。市民集会を重要視する者ならば、民主政と断ずるに違いない。(中略)ところが、ローマの政体は、この3つを組み合わせたものなのである。

いつの時代も格差があり、環境の変化に応じて、政体を変えられた国だけが生き延びたとでも言いましょうか。平民の活力を生かせない国は、栄えることはできません。

日本でいえば、天皇制が王政、官僚制が貴族政、国会が民主政ですかね。戦後、王政が弱まり、貴族政できましたが、戦争がなかったので、大きな問題にならなかった。朝鮮有事にでもなれば、民主政が問われるというところでしょうか。

戦に明け暮れた時代を感じるのがこの下り p.82

軍団を率いることと国政を率いることが同一視されていた時代、戦場での能力発揮は、国政の場での能力発揮への移行を自然にした。

平時のリーダーと有事のリーダーは、違うわけですが、日本がもし、有事に向かっているとすれば、どんな変化が起こるか、ローマから学ぶことができそうです。

寡頭政だったローマに置かれた、独裁官(ディクタトール)について、マキアヴェッリの言葉。p.101

ある政体を守りたければ、必要に迫られた場合にはあえてその政体の理念に反することをする勇気をもたなければならない

今後日本が試されるのは、有事になった時の体制に以下に迅速に移行し、また、もとに戻れるかでしょう。

ローマ人の特質について。

古代から現代にいたるまで、歴史家がこぞって認めるローマ人の特質の一つは、敗北を喫してもその害を最小限にとどめる才能と、勝てば勝ったで、その勝利を最大限に活用する才能である。p.168