【本】1998年の宇多田ヒカル

1998年の宇多田ヒカル

宇野維正 新潮社 2016/1
音楽ジャーナリストによる00年代ポピュラー・ミュージック論。久々に日本の音楽を振り返る時間を持てました。私にとって98年とは金融危機の年でしかないのですが、音楽業界にとってはCDが最も売れた年でした。90年代を語る小林武史氏のコメント p.97

単純に一つの事実として、90年代の日本は音楽の時代だったと思います。社会全体の中で音楽というものに圧倒的に光があたっていた。

ところが、自分は、人生が「折れた」年だったので、本書に書かれてる宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoの3人のデビューをリアルな体験として覚えていないのが不思議です。

印象に残る部分をいくつか。

「アイドル」と「アーティスト」の違い。それは、「同性の支持をを得られるかどうか」がほぼ全てである。p.42

業界的には、p.105

レコード会社&大手プロダクションが固く握っていた日本の音楽シーンの主導権は、ワンクッションとして一旦アーテイスト出身のプロデューサーに委ねられた時代を経て、宇多田ヒカルの登場によってそれをアーティスト自身が手にする時代がきた。

その源流は、阿久悠氏のコメント p.164

小泉今日子も中森明菜も『スター誕生』の堂々たる合格者ではあるが、決して、卒業生とか生徒というようには見えなかった。彼女たちは、少女であっても、どこか独立していて、極端なことをいうと、他人の知恵を拒んでいるようにさえ見えたのである。

宇多田ヒカルでハっとしたのは、スタジオ・ミュージシャンとしての彼女。

「Automatic」から、現時点での最新曲である「桜流し」(2012年)に至るまで、宇多田ヒカルの音楽から一貫して聞こえてくるあの「密室感」と「親密さ」の源は、彼女にとってスタジオこそが「自分の部屋」であるからだと自分は考えている。p.107

最終的には編曲も手掛けることになる彼女に対して、p.112

All Songs Written and Arranged by Utada Hikaru

日本の他の女性アーティストの作品ではまず目にすることがないそのクレジットが、何よりも音楽家・宇多田ヒカルの本質を示している。

アーティストの成長で興味深いのが2度のデビュー p.169

ポップ・ミュージックの優れた作りてには「デビュー」のタイミングが2度やってくると自分は常々考えている。(中略)
周囲の人間から世に送り出されるのが一度目のデビュー。
 周囲のスタッフから表現者としての信頼と評価を得て、相応の自身と発言力を身につけて、表現者として自分の足で新たな一歩を踏み出すのが2度目のデビュー。

 吉本の芸人は2度売れなければならないというのを思い出します。

ダメだ。終わらない。椎名林檎パス。

aikoは、菊池成孔氏とユーミンのコメントに尽きます。

では。