エズラ・F・ヴォーゲル 講談社現代新書 2015/11
ヴォーゲル教授が書いた『鄧小平』の入門本。中国経済復活は、20世紀後半最大の経済事件であり、そのキーマンの分析は、現在の国際経済を理解するのにも役立ちます。
鄧小平は、清朝の末期に生まれ、親戚が教える私塾で儒教の教育を受けた。(中略)1911年の革命に続く混乱のさなかで青年期を過ごし、当時の多くの若者たちと同じく、中国が近代化して強国になることを願う熱烈な愛国者になった。それからフランスで5年、ソ連で1年を過ごして、1927年に帰国した。中国が西欧の産業文明にどれほど遅れをとっているか、身に沁みてわかっていたし、ソ連の共産主義がどんなものかも肌でわかっていた。p.4
この時から最高権力者になるまで50年を要すのですが、そこは波乱万丈でもあり、万全の準備をしていたようにも見えます。特に、3度左遷されるも、ぎりぎりのところで踏みとどまる政治力は圧巻です。たとえば、大躍進に反対しなかった。スターリン批判にもくみしない。彭 徳懐を批判する会議は病欠。ところが、75年に毛沢東が文化大革命を支持するように求めた時は拒否。
教授の評価は、
鄧小平は飛び抜けて有能な指導者だった。重要なこととどうでもよいことをはっきり区別し、諸外国と良好な関係をたもち、近代化をすすめるにはどうしたらよういかについて中国の学生たちや指導者たちを教育する道筋をつけた。p.6
鄧小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だと言っていいのです。p.25
幼少期で印象的なのは、教育。
毛沢東は1893年の生まれ。毛沢東n教育はおもに、辛亥革命前のものなんです。いっぽう鄧小平は1904年の生まれ。7歳まで村で、儒学の基礎を学んだけれども、そのあと、いち早く、西洋式の学問を勉強しました。p.40
指導者としての資質についての議論は、第3章。
1. 長期的な視野を持っていた。
歴史の流れを、よくわかっている。
2. 行政組織を把握していた
3. 記憶力が非常に良い
第5章は、改革開放。毛沢東が76年に亡くなり、自身が77年に復権しても、華国鋒を追放しなかった。最初に手を付けたのは大学入試の再開。文化革命から政策転換を固めた後も、毛沢東の権威を傷つけず、訪日を成功させている(78年)
現在の習近平政権の外交政策との違いがわかるのが、78年の訪星時のエピソード。リー・クワンユーが、革命宣伝のラジオ放送中止を求めた所、鄧小平は確約はしなかったものの、1~2年でストップさせています。p.166
天安門事件については、第6章。鄧小平が読み違えた3点指摘した上で、こうコメント。
われわれ西洋人は、相手が、悪いことをすると罰する。悪いことをしなかったら、罰しない、という考え方です。
いっぽう、鄧小平と共産党のロジックは、相手が、悪いことをしそうになったら、その前に罰する。p.207
最後に、現在の問題を議論。最大の問題は、腐敗としています。
では。
参考
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46683