【本】創られた「日本の心」神話

創られた「日本の心」神話
輪島 裕介 光文社 2010/10

演歌を通じて、日本の歌謡史を学べます。「歌う国民」と同じように楽しませてもらいました。

演歌は日本のこころと言われますが、ジャンルが確立したのは40年ほど前。私と同年代とも言えます。
言葉としての「演歌」は、明治の自由民権運動の中で登場しました。当時は、「歌による演説」を意味していました。それは、昭和初期に衰退するのですが、昭和40年代に別な文脈で復活しました。

GS以後のフリーランス作家の時代に入り、それ以前のスタイルが「時代遅れ」で「年寄り向け」のように思われはじめたときに、そのような「古いタイプの歌」と目されたものを新たにジャンル化したのが「演歌」なのです。(p.46)

 p.277 では 平凡パンチ 1971年1月10日号が紹介されています。男性誌もろ出しの表紙ですが、目次には

  • 「命をかけてうたう心の歌 男の演歌100曲」
  • 「軍歌50曲集」

とあります。当時の若い男性向けの雑誌には、演歌と軍歌が入っていたのですね。

にしきのあきらさんが、1970年にCBSソニーから

ソニー演歌の騎士(ナイト)

キャッチフレーズでデビュー。「もう恋なのか」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しています。

この昭和40年代の変化は、p.290にまとめられています。

やくざやチンピラやホステスや流しの芸人こそが「真正な下層プロレタリアート」であり、それゆえに見せかけの西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という、明確に反体制的・反市民的な思想を背景にして初めて、「演歌は日本人の心」といった物言いが可能になった、

また、レコード産業が、専属制度解体という一大転換期であったことにも触れています。専属制度時代を引き継ぐ演歌と、非専属作家によるレコード歌謡が分化。昭和30年代までのレコード歌謡の音楽的特徴は「古い」と感じられるようになりました。

こうした歴史を知ることは、今年の紅白に演歌歌手が出場できるか考える参考になるだけでなく、iTunes時代の音楽業界の行方を考える上でも参考になります。技術進歩が、音楽業界にいる人の働き方を変える。すると、新しい働き方に乗る人と乗らない人が出てくる。新しい棲み分けは、音楽のジャンルを変えていく。裏方から見るとそんな感じでしょうか。