グローバル化を超えて―脱成長期 日本の選択
西川 潤 日本経済新聞出版社 2011/6
西川先生の最新作。執筆開始は3.11以前でしたが、震災で本書の意義が一層深くなっています。
先生は、経済学者として、これまで一貫して、豊かさとは何か、貧困とは何か、幸福とは何かを追求してきました。今回のユーロ危機で、国家による経済成長へのテコ入れに限界が見えたとしています。国家主導型の開発主義の時代も否応なしに転機に立たされている。私たちは、脱開発=脱成長の時代に立ち会っている(p.3)と主張しています。
第I部では、ポスト・グローバル化の世界を整理しています。リーマン・ショックを再考し、幸福度を検証。貧困がいまだに広がっていることを確認します。
第II部では、こうした問題に対応する主体が、市民社会であることを示します。
第III部は、脱成長時代の経済学を再定義。経済学における成長の意味を吟味。環境問題、ジェンダーの問題に触れています。
終章では、内発的発展を総括しています。
以下、印象に残ったところ。
経済グローバル化の特徴
- 企業の国際生産のカクダイ、他国成果が、国際資本移動、貿易カクダイなど、グローバル化の動因となっている
- 国民国家の国境を越えて、市場経済化が進み、大量生産・大量消費システムが拡大する
- 情報革命が進行し、世界的に人流が増える
- 半面、社会分裂、環境悪化が進展する。 p.386
幸福とは実は、貧困から抜け出すことである。p.103
p.104でジニ係数を確認。日本は1981年に0.35だったが、2008年に0.5になった。中国も、1980年には0.28だったが、2010年には0.5。
p.105には、世界の冨分布(シャンパングラスモデル)が紹介されています。世界の2割りの人が、世界の冨の8割りを所有しています。ワーキングプア、ニート、相対的貧困率をみたのちに、貧困者相手のビジネスに触れています。
- 住宅ローン
- 保険
- 軍隊
なぜ貧困が広がるのか? (p.123)
- 資本主義のグローバリゼーション
国境を超えて大企業が競争しあい、合理化、効率化を最優先する限り、雇用は減少する - 単一市場
多様な人間に仕事を提供する余裕が少なくなる - 人間・自然資源の商品化
温暖化、環境破壊、資源争奪戦 - 投機マネー
貧困は、差別と関連しているので、常に先ず特定の社会層に集中する。女性、農民、中高齢者、先住民族、子ども、AIDS/HIV感染者、障害者、外国人労働者、被差別部落住民等々。p.125社会的な「弱者」といわれている人びとは自然に「弱い」立場にいるのではなく、社会的に「弱いとされて」いる、あるいは「弱くされた」のである。 p.128人間が本当に貧困なときというのはどういう状態かというと、それは、社会から切り離された状態なのだ。p.128
貧困をなくすやり方
- チャリティ
- 雇用をつくり出すこと(政府、企業、NPO)
- 再分配(政府)
これは、まさに被災地の復旧に当てはまることではないだろうか。
第8章では、グローバル化が都市化をもたらしているとして、年について分析しています。
1960年に世界人口が30億人だったとき、都市人口は3分の1の10億人で、うち、先進国が5.4億人、発展途上国が4.6億人であった。
1990年には、都市人口は22億5459万人と2倍以上増え、うち、北の都市人口は8億1175万人、南は14億4285万人。
205年には、世界人口は80億人に達するだろうが、都市人口はその半分を超える。
都市における、都市分裂、スラム、要塞都市、インナーシティなどの問題に触れた後、再生についても検証。取り上げられている都市は、以下の通り。
- ハーレム
- サンフランシスコ(NPOの活躍)
- ポートランド(グリーンネイバーフッド。コンパクトシティの見本)
- クロントイ(バンコク郊外)
- コンパクトシティ: 金沢、美山、尾道
- 持続可能都市:オールボー(デンマーク)、
- 都市=地域連合: リール=ルーベ=トゥルコワン、ベルギーのフランドル地方、シリコンバレー、カタルーニャ=ペルビニャン、シンガポール周辺
発展経路は各地域で人びとや集団が「固有の自然生態系に適合し、文化遺産に基づいて、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的創出」する。p.382
- 群馬県沢田村(現中之条町) 薬草のテーマパーク
- 北海道池田町 ワイン城
- 山形県高畠町(第9章)
- 直島、豊島、小豆島
- セーラ・カミングス
本書に書かれていることを主張する経済学者は他にもいるでしょう。しかし、台北に生まれ、パリに留学。NYに住み、世界のほとんどの国を訪問。北朝鮮に入国したということで、韓国から入国拒否されたというトラブル多数。これだけ、現地を見た上での主張。それがほとんどブレがありません。ゼミで習ったことをおさらいしているかのような内容ですが、20年の年月を経て、これらがひとつの流れになっているところに私は感銘を受けました。
では。