四半世紀前の本であるにも関わらず、今なお日本人の組織を考える上で重要な本。日露戦争で、白兵突撃、艦隊決戦、短期決戦指向の枠組みができ、制度・技術・兵器が相互補完的に強化されたため、大東亜戦争という新しい環境に直面しても、自身を変革できなかったという失敗例。
野中先生が、この研究に取り組んだ経緯を話されています。
http://www.mri.co.jp/NEWS/magazine/club/05/__icsFiles/afieldfile/2008/10/20/20080501_club06.pdf
企業の「失敗の本質」には協力者が出てこず、日本軍を通して、日本的な組織の研究に至ったと記されています。いまだに、失敗から学ぶことは難しいのがわかります。
6つの作戦が最初に取り上げられています。これが最初のポイントで、どうして連敗したのか。失敗から学べなかった理由が、本書の焦点です。戦略上の失敗要因は、以下のとおり。(要約がp.239の表になります)
戦略上の失敗要因
- あいまいな戦略目的
- 日本軍は、米国上陸して決着をつけると想定していなかった。
- 短期決戦の戦略志向
- 空気の支配
インパールで日本軍と戦ったイギリス軍司令官の次の言葉。
日本軍の欠陥は、作戦計画が仮に誤っていた場合に、これをただちに立て直す心構えがまったくなかったことである p.203
- 狭くて進化のない戦略オプション
本来、戦術の失敗は先頭で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。p.205
なのに、戦闘上の巧緻さが、戦略の強みに添加することがあった。→オペレーションの戦略化。 - アンバランスな戦闘技術体系
組織上の失敗要因
- 人的ネットワーク偏重の組織構造
- 属人的な組織の統合
- 学習を軽視した組織
- プロセスや同期を重視した評価
足を靴に合わせるような教育方法 (single loop learning)
印象的なのは、日本軍の敗因は、過去の成功体験への過剰適合、すなわち、過去の成功体験により、現実を直視する能力が欠けてしまったということ。
意外なことに
政治家が政権を争い、事業化が同業者と勝敗を競うような闘争的訓練は全然与えられていなかった。
独占企業であった、東電はどうだったのでしょうか。
日本軍は、零戦や大和といったモノは傑出したものをいくつも開発したが、モノをシステムで捉えることが苦手であった。
たとえば、遠距離砲は開発したが、レーダーや、射撃指揮体系では米軍が長けていた。
ハードが得意で、ソフトで繋げられないiTunesを思い出しますね。
組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』
そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の『間柄』に対する配慮
教育については、
オリジナリティを奨励するよりは、安徽と記憶力を強調した教育システム(p.256)
であったことに触れています。
対策としては、不均衡の創造を説いています。
適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。p.265
しかし、当時の海軍の様子は、次の通り。
創設以来75年がたち、二代、三代と代替わりして、すっかり安定した日本人的長老体制ができあがっていた。抜擢は大差に進級するまでで、将官になると、ずっと序列はかわらなくなった。本来、海上で働く将官は、少将で40歳、大将は50歳が理想とされたが、住み心地が良すぎたせいか、新陳代謝が進まなかった。(開戦時の山本長官57歳、長野軍令部総長61歳)p.266
「余裕のない組織」というのも、新鮮な指摘。
日本海軍の航空機の搭乗員は一直制であとがなく、たえず一本勝負の短期戦を強いられてきた。米海軍は、第一グループが艦上勤務、第二グループは基地で訓練、第三グループは休暇という三直制を採用できた。p.272
最後がコミュニケーション。
日本軍最大の特徴は「言葉を奪ったことである」 p.274
では。