散るぞ悲しき
梯 久美子 2005/7 新潮社
硫黄島総指揮官・栗林忠道の伝記(大宅荘一ノンフィクション賞受賞)。
将軍に対する評価は、その敵将によるものが最も信頼がおけるといいますが、先の大戦中、アメリカ軍から最も評価された将軍。この本を読むと、クリント・イーストウッド監督が、なぜ、硫黄島で2本も映画を撮るのかがわかります。
『父親たちの星条旗』 Flags of Our Fathers
『硫黄島からの手紙』 Letters from IWO JIMA
映画では、栗原中将を渡辺謙が演じることになっています。この南海の小島での戦闘から、さまざまなことを学ぶことができます。
・リーダーシップ
勝利の望めない硫黄島の戦闘で、2万人もの兵を率いて、モラルを維持する力。米軍は、5日間あれば攻略作戦は完了すると考えていたが、栗原中将は、30日以上にもわたって抵抗を続けました。
74日間に投下された爆弾は計6800トン(P.127)。これは、鉄に換算すると、島中を厚さ1mの鉄で覆える量に相当します。
島に向けられていた砲が一斉に火を噴いた。島には大地震が起こった。
火柱は天に届くかと思われるようだ。黒煙は島を覆う、鉄片はうなりを生じて四散する。直径1メートルもある大木も根の方が上になってふっ飛ぶ。轟音は雷が100も200も一度に落ちたようなすごさである。
地下30メートルの穴の中でも身体が飛び上がる。まさにこの世の地獄となった(P.129)
玉砕を覚悟した最後の出撃に際し、将軍は陣の後方で腹を切るのが当時の通例だった。しかし、栗林はそれをあえて破り、みずから陣頭に立った。
戦闘の後、敵将の敢闘ぶりに敬意を表した米軍が遺体を捜索したが、階級章を外していたため発見できなかったという。(p.149)
・組織論
硫黄島を占領されれば、本土防空上、大きな影響が出るため、2万人もの兵士を硫黄島に派遣しながら、戦闘前には、島を見捨てる決断をした日本軍の判断。
・平和
硫黄島では、「名誉の再会」という記念式典が行われました(P.162) かつて敵味方として戦った兵士が、戦場で合同式典を行う話はあまり例がないそうです。
・家族
このような極限の状態にありながら、栗林中将の送った手紙は、愛情あふれるものでした。
栗原中将の訣別の電報は、次のとおりです。
戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭かしむるものあり。特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然徒手空拳を以って克く健闘を続けたるは、小職自ら聊か悦びとする所なり。
然れども飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ、為に御期待に反し此の要地を敵手に委ぬる外なきに至りしは、小職の誠に恐懼に堪えざる所にして、幾重にも御詫び申し上ぐ。
今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方り、熟々皇恩を思ひ粉骨砕身も亦悔いず。
特に本島を奪還せざる限り、皇土永遠に安からざるに思ひ至り、縦ひ魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す。
茲に最後の関頭に立ち、重ねて衷情を披瀝すると共に、只管皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ永へに御別れ申上ぐ。
尚父島、母島に就ては同地麾下将兵、如何なる敵の攻撃をも断固破摧し得るを確信するも、何卒宜しく御願い申上ぐ。
終わりに左記駄作御笑覧に供す。何卒玉斧を乞ふ。左記
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生まれて矛を執らむぞ
醜草の島に蔓るその時の 皇国の行手一途に思ふ(P.220)