戦争が定める国境

アムステルダムに住んで3ヶ月になろうとしています。学びの連続ですが、住まないとわからないことが多いと思いました。最も強く感じたのが、「戦争が定める国境」ということです。

シンガポールにでは、Channel NewsAsia を観て、Straits Timesを読んでいれば、周辺国の情報がだいたいわかりました。ローカルの本音は、中国語やマレー語などでニュースを追う必要はありますが、重要でないものも多く、政治、経済、社会の情勢は、だいたい英語で入ってきました。

ところが、欧州は、言語と国がガッチリ結びついています。英語は英国の言葉であり、フランスの情報はフランス語で、ドイツの情報はドイツ語で入ってきます。オランダ人は、ほとんど英語を話すにもかかわらず、テレビ、新聞はオランダ語ですね。これだけネットが普及したにもかからわらず意外です。

もちろん、30年前のように、フランスに英語で電話すると、フランス語を強要されるようなことはなくなりました。しかし、情報発信(受信)は、強烈に自国の言語です。

思い当たるのは、戦争の歴史です。言葉の源流を遡れば、イクサのコミュニケーションに行き着くでしょう。久保選手が、レアルに移籍するなら、まず、攻撃に必要なスペイン語を学ぶことでしょう。

数百年に渡り戦争を繰り返した結果、国境と言語がガッツリ一致したというのが私の見立てです。

日本のように、島という地形で言語がひとつになっていったのとは、成り立ちが違うかと。

東南アジアは、宗主国のメディアが、先行したため、現地語でなくても、情報が行き渡るようになっていると言えるかもしれません。

EUという試みは、戦争で反り立った国境という壁を溶かす作業だったのですね。世界語となったイギリスがそこから脱退しようとするのは、皮肉な話ではあるのですが。