「ここではパソコン使わないでもらえますか」
中年の女性はスーツ姿の私にすまなそうに言った。一時帰国の昼下がり。次のアポまで時間があったので、中央区立日本橋図書館でメールを返信していた。
「どうやったらパソコン使えるんでしょうか」
「あの端末でコンピュータが使える席を予約してもらえますか」
「図書カードがなくても使えるんですか」
「お作りしましょうか」
「私はオランダに住んでいるのですが」
「…」
彼女に文句を言っても仕方ないのでパソコンを閉じて、アポ先に向かった。
歩きながら、いろんな思いが浮かんでは消えた。日本橋図書館は、東京駅から最も近い図書館の一つだ。外国人がフラッっと立ち寄ってもおかしくない。日本最先端の図書館サービスになっていても何の不思議もない。
オランダで言えば、アムステルダム中央図書館になるかもしれない。そもそも、館内にパソコンが使えない場所などない。利用者は情報をネットから得るのであり、紙からではない。本棚をみれば、スカスカ。もう、パンパンに本を並べるのが図書館であった時代は終わっている。
東京も同じ思想の千代田図書館があった。私がこのブログでとりあげたのは、2007年。「あなたのセカンドオフィス」というキャッチフレーズは今でも通じる。半蔵門線をつかえば20分ほどで移動できるが、日本橋図書館に届くのに15年以上かかるのだろうか。
とここまで考えてきて、その原因が真面目にやりすぎていることにあるのではと思うようになった。30年前、図書館は受験を控えた若者だらけだったが、今は、年寄りばかりになっている。その人達が若かった時のように、静かに新聞が読みたいのだろう。パソコンのキーボードがうるさいと、職員に繰り返し文句を言うので、妥協としてPC利用席を分離して、今日に至っているのではないか。
アムステルダムの図書館は自由だ。どこに座ってもいいし、コーヒーの自販機でコーヒーを買って、席で飲んで良い。
Zoomをしてもいいし、グループで話をしてもいい。パンを食べている人もいる。ピアノのリサイタルも開催されている。
もしも、話し合いの声が大きいと思ったら、本人に伝える。彼女たちは声を低くするか他の席に移る。日本だったら、オジサンが怒り出したり、図書館員に文句を言うのではないか。オランダは良くも悪くも大人だ。当人同士の話し合い。
WiFiは最近Publicroam というオランダ共通サービスに置き換わった。一度登録さえすれば、オランダ人だろうが、日本人だろうが、無料でインターネットを利用できる。千代田区のログイン方法はこれ。中央区はこれと煩わされることもない。
ローマに行くと、市内のあちこちに無料の飲料水が湧き出ている。きれいな水を無料で市民に提供するということが文明なのだ。現代で言えば、インターネットなのだろう。速くて安全なネットを無料で市民に提供するのが文明なのだ。図書館こそ、ネットが使える場所なのに「ここではパソコン使わないでもらえますか」とはどういうことなのだろう。スマホ(小さなパソコン)はどこでも使えるのに。
日本の図書館には、やたらと職員がいる。アムステルダムでは本を借りるのの返すのも「セルフ」 中央図書館には機械があって、本を投函すると、利用履歴がメールされる。若者は、ネットを使って楽しく学びたい。そのためのコストはほとんどかからないのに、オジサンの対応するのに職員を減らすことができず、自由にもならないのが日本の図書館なのではないか。
アムステルダムの図書館は、ほぼ、シェアードオフィス(WeWorkのようなもの)になっている。パソコンの電源を使っても怒られることはないし、プリンターに印刷することもできる。なので、37.5€(5,400円)という年会費を払うことも納得。
図書館を有料にすることには議論があるだろう。オランダも18歳未満の子供は無料だし、会費をはらっていなくても、図書館を利用することはできる。
日本の図書館も、義務教育が終わった若者が、使いやすことを基準にしてはどうだろうか。図書館のどこでも端末を使っていいし、WiFiは使い放題。友達と話をしてもいいし、本を読まないなら、買う本をへらす。スマホで本を読む若者が多いなら、Overdrive のようなサービスを提供する。
中高年の支持は得られないでしょうけど、それぐらいやらないと、日本のデジタル化は進まないかと。オランダの小学校ではVRの授業が始まっています。
(本文とは関係ないですが、オランダのシニア向けにVRを活用する事例)