大学受験をするみなさんへ

私が大学受験をしてから30年が経ちました。今年も受験をする学生のみなさんは、大変な思いをしていると思います。私も、当時は荒れておりました。私が勉強に集中できないのは、TVのせいだと、見れなくしてしまったり、親に八つ当たりしておりました。なので、みなさんに偉そうなことは言えませんが、30年たつとわかることもあります。

 

第一は、塞翁が馬ということです。私の第一志望は国立大学でした。両親に経済的な負担をさせたくはなく、大学に入ったら、アルバイトをして楽をさせたかったのです。しかし、そこは不合格。私学に進学しました。

私がラッキーだったのは、KDDのオペレータのアルバイトができたことです。これでそこそこ稼ぐことができました。当時の私は、「親に負担をかけない=学費を安くする」しか考えつきませんでした。しかし、自分でより稼げば、親の負担を減らすことができました。こんな簡単なことすら、学生の私は思いつきませんでした。

また、私学では、一生続く友達を得ることができました。国立に行っても、友達はできたでしょうが、この進学は本当に良かったなぁと今でも思えます。なので、受験している時はいろいろ思いつめているでしょうが、縁のあった学校に進めば、それなりの人生が開けます。

第2は、もう一つ先を見ながら運転しようです。私はバブル世代なので、「女性にモテる=車を運転する」ぐらいに思いつめていました。結局、車は買えず、女性にもモテませんでしたが、教官の言葉が、生涯の指針になりました。それは、「ひとつ前の車を見ながら運転せよ」です。

運転初心者は、目の前の車のテール・ランプを見ながら運転しがちです。しかし、それでは遅く、追突してしまうのだそうです。なので、一つ前の車のテール・ランプを見ながら運転すれば、安全に運転できるというものでした。

大学受験にも似たところがないでしょうか。絶対国立。絶対六大学。絶対医学部。絶対司法試験合格など、目の前の目標を定める人は多いと思います。しかし、「もう一つ先」を見ながら運転していれば、本当に「絶対」なのかは、怪しくなってくるでしょう。

私の場合は、銀行に就職しましたが、その銀行が潰れてしまいました。結局、アメリカに留学し、最終学歴は、海外の大学になっています。

私の友人は、当初、別の学部に進学し、途中から医学部に切り替えた人もいました。高校生の私は、「転部」というやり方があることも知りませんでした。

弁護士になりたいとしても、「日本の」司法試験だけが法曹の道でないこともその後知りました。アメリカで、司法試験に合格した友達もいます。

今は、目の前の志望校突破のことでいっぱいいっぱいだと思います。しかし、一つ先の車が何かを考えながら、勉強をしていくと、少しは視野が広がるのではないでしょうか。

最後は、ちょっと残念なお知らせです。それは、受験は今回だけで終わらないということです。太平洋戦争が終わった時、日本人の平均寿命は、50歳でした。なので、大卒は一生続く権威がありました。しかし、みなさんには、その倍の人生が待っています。一度の大学受験で生涯安泰ということはもうありません。私は10年ごとに「焼畑農業」しています。

30歳で銀行員としてのキャリアを焼き畑し、アメリカに留学しました。

40歳で日本でのキャリアを焼き畑し、シンガポールに移住しました。

50歳で、シンガポールのキャリアを焼き畑し、オランダに移住しています。

焼き畑は、シンドイです。それまでの蓄積で暮らせたら楽だろうとは思います。しかい,今や10年ごとに自分を全否定するぐらいでないと時代についていけません。それぐらい変化が激しくなってきました。他の移民に混じって、ビザの申請をするとき「ソニーの社員です」と言えたら、楽にビザが下りるでしょう。「藤井です」といって、自分が何者なのかから説明するのは大変です。しかし、それをやるから自分の力が伸びるのです。

なんでこんなにシンドイんだろう。そう思ったら、自分の力が伸びているときです。受験生のみなさん、一緒に頑張りましょう。

では。