師範学校の終わり

 明治政府は1872年、師範学校を作りました。何もかもが欠乏していた日本に必要だったのは、西洋の知識を吸収し、国力を高めることでした。それまでの寺子屋・藩校ではとても量が足りませんでした。教師を育成し、知識を全国民に普及させるというのは、今、振り返っても理にかなった戦略でした。

 それから150年。ChatGPTが師範学校を終わらせてしまいました。予兆はずいぶん昔からありました。私が1999年に山口を歩いていた時、とある高校は、衛星放送で東京の予備校の先生の授業を聞いていました。通信技術が発達したことで、2番手以降の教師の必要性が下がってしまいました。一番うまく教えられる人の講義を全国でどこでも受けれるようになりました。

 人工知能も、すでに知識では人間を越えていましたが、人間が理解しやすいようにレベルを「下げて」答えてくれるようになりました。これは画期的です。教育学部は「知識運び人」を育成する必要性が低くなったと言えるでしょう。

 しかし、「コーチ」はさらに必要になってくるでしょう。AIから知識を吸収できるのは、質問する人です。質問しようという気にするようモチベーションを上げてくれる伴走者としての才能が求められるのではないでしょうか。

 そうすると、スポーツ選手や芸能人に大きな期待がかかりますね。人工知能がアプリやロボット搭載されるのは時間の問題。その時の声は誰になるのか。小学生ならコナン君かもしれませんし、受験を控えた女子高生ならアイドルかもしれないですね。