我々はどこから来て、今どこにいるのか エマニュエル・トッド 文藝春秋
トッド教授が一般向けに家族類型が社会に与える影響を解説した本。原本は2017年ですが、いまなお、読む価値がありました。複数国に事業展開する企業は、国ごとの違いを理解できるようになると思います。
ビジネス・パーソンは、G20の4類型を抑えるだけで十分だと思います。これらの特徴を捉えた上で、本社の人事制度を拠点ごとに現地化すれば、大きな間違いはなくなると思っています。
大きな枠組みは、上p.46
- 社会を動かす意識(経済) 50年
- 下意識 (教育) 500年
- 無意識 (家族) 5000年
家族類型は、最近の都市化による核家族化とかいう話ではなく、5000年単位で変わるような無意識のレベルの話です。
たとえば、女性の地位について。
われわれはふつう、女性のステータスの低さを目の当たりにすると、それを非西洋人たちの経済的遅滞を論理的に補完する文化的な「遅れ」だと感じる。しかし、家族システムの歴史をたどり直してみると、先入観とは逆に、東洋の父系システムは長い推移の結果発生したものであって、西洋はその推移の外にいたと判明する。
上 p.48
家族類型が基本的な価値観に影響し、それが教育のあり方、ひいては宗教をも変えていきます。マルクスのような下部構造の議論とも一線を画します。
ヨーロッパ文明の離陸を研究してわかるのは、教育水準の上昇が産業革命や資本主義の開花よりも時期的にずっと先立っていたということであり、またとりわけ、読むことを学習しようとする最初のモチベーションが経済とは関係なかったということである。ヨーロッパのの北部と北西部え、人びとは紙とコミュニケーションするために読むことを学んだのだ。
上 p.252
世界の読者にとって興味深いのは、これまで先進的と思われてきた核家族が、実は最も原始的な家族類型であること。それが近代国家と親和性があったために、絶対核家族が覇権を握りました。
ヨーロッパの民衆は厳格な外婚制の規則を遵守していたのであり、そうである以上、各人は自分の生まれた村から外へ出ないわけにはいかないのだった。イギリスの村落共同体の平均人口規模は17世紀には200人程度だったはずで、この条件では、人びとの移動性が高くなければ、近親者同士の婚姻が避けられない。
上p.302
長男が墓守をすると故郷から離れられなくなりますが、イギリスには7つの海に向かうのに最適な家族類型になっていたのですね。
日本人であれば、直系家族を相対化して理解するという読み方があるでしょう。大河ドラマをみていると、日本は昔から直系家族だった錯覚に陥ります。
直系家族は11世紀にフランスやノルマン人の王朝に現れ、次いで、その影響がカロリング朝由来の地理的空間の内部で帰属階級に及んだ。それから、垂直軸ではより低い社会階層へ浸透し、水平軸ではいくつかの極を中心に地理的に広がった。南仏のオック語地域で極となった町はトゥールーズであった。ドイツにおける極がどこだったかは、現時点ではまだ突き止められていない。
上 p.246
いま、ドイツに行けば、典型的な直系家族だと実感するが、歴史的にはたどれていないのは意外です。
日本で垂直軸の伝搬の起点となったのは、社会の表向きの頂点ではなかった。なにしろ、天皇家で長子相続が採用されたのは、伝搬プロセスが最終段階に到ってからのことだったのだから。その最終段階を画した明治維新は、13世紀もしくは14世紀初頭に関東を地盤とする上級階級の間に出現した直径概念の進展のフィナーレであった。
上 P.246
下巻には日本語版へのあとがきがあり、ブレクジット後のイギリスへの懸念を表明しています。EUから独立したはいいものの、産業を立て直すことができずに国力を落としているという観察は、私がこの1年で見てきたロンドンそのものでした。ものづくりができる権威主義儀的な国と、金融やITが得意な核家族社会がどのように折り合えるかというのが次の10年の焦点だと思いました。