日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村美苗 筑摩書房 2008/11
英語が、かつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代に、日本語はどうあるべきるか考える本です。漱石が、今の日本にいたら、英語で書くのではないかという問いは、重たいものがありますね。漱石は、漢文で多くの文章を残しましたが、我々にこれほど影響を与えたのは、次世代に残る言葉で小説を書いたからでした。
Google Analyticsの地図を見たときに、縮尺が大きすぎるのに戸惑いました。各国からのアクセス下図をマッピングしてくれるのですが、私のブログは、日本からのアクセスがほとんどです。英語で書く人は、世界中からアクセスがあるのが当たり前なんですね。
著者の危機感を共有した上で、いくつか感想です。
世界50カ国を歩いた感触でいえば、この20年で英語が通じやすくなる一方で、自国の言葉に自信を持つようになったと感じます。
次に、日本語には、普遍語でないがゆえのよさもあると思いました。Wikipediaに掲載される情報量が英語と日本語に格差が出ることひとつの例です。少ないがゆえに、雑音も少ないということを評価する人もいるのではないでしょうか。
たとえば、Wordpressについて調べようとすると、英語圏のソフトウェアですので、英語の情報が圧倒しています。しかし、英語で調べると、情報が多すぎて、探している情報に早くたどり着けないことがあります。
最後に、翻訳自動化への期待があります。あと20年あれば、かなり進歩するのではないでしょうか。
よって、普遍語としての英語への集中は続くが、経済力が多極化することで、その動きは鈍化する。自動翻訳の技術が進歩することで、日本語で書かれたものでも、優れたものは確実に多言語に伝播する。英語か日本語かは、流通戦略(直売か、卸を通すか)に近くなると思うのですが、いかがでしょう。
もちろん、そうであっても日本語に対する危機感は、私も感じているところです。学者の定量的な分析も聞いてみたいですね。
では。
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