牧野 洋 講談社 2012/1
元日経記者によるジャーナリズム論。Jスクールへの留学で日米ジャーナリズムの差を認識し、その後の記者経験を通じて、経験した豊富な事例で日本のジャーナリズムを批判しています。記者クラブや匿名報道など、既出のネタではありますが、非常に参考になりました。
まえがきでは、コロンビア大学で、日本人補習校の取材をした時のエピソードが紹介されています。著者の原稿は教官によってボツにされてしまいます。
主人公である子供を取材していないのは記者として失格 p.5
なのです。興味深いのは、その記事を英文日経に送った時に、元の原稿に戻されたことです。日米では、記事に対する編集者の考え方が全く違います。
第4章では、記者クラブを描いています。サミットで欧米メディアがNGOの写真を一面トップにするのに対し、日本メディアは首脳の集合写真をいまも掲載しています。
記者は記者室と会見場所を頻繁に行き来し、情報収集する。日本政府から大量に資料を配布される一方で、日本政府高官からひっきりなしにブリーフィングを受ける。(中略)「サミット記者クラブ」から一歩も外に出ないこともある。(中略)会議場の外に出て抗議デモの現場に繰り出したり、NGOへの独自インタビューをしたりしない。
こういう文化なので、第8章の調査報道の対応にも差が出ます。情報源の秘匿ひとつとっても、日本では、三井環事件のようなことになります。
ディープバックグラウンドの4形態を忘れないためにメモ。
- オンレコ
- バックグラウンド
発言者の名前は引用できない。 - ディープバックグラウンド
発言内容も直接引用できない。 - オフレコ
聞いた内容はいっさい書いてはならない
ただ、日本のメディアを批判するだけでなく、第9章では、アメリカ新聞界の動きを紹介しています。新たなNPO報道機関の特徴は、次の4つ。
- NPO
- ネットのみ
- 地元ニュースに特化
- 調査報道
事例として取り上げられているのは、たとえば。
タブレットの普及で、さらに変わっていくことでしょう。
【感想】
読みながら、村上春樹さんの言葉を思い出しました。
Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.
これって、ジャーナリストの基本だったんですね。気づいていませんでした。主人公は常に弱い側であり、ジャーナリストはその視点で記事を書く。権力に対する感覚が日米の取材の差なのだと理解しました。
家族類型の視点からみると、またもや、典型的な事例だと思いました。絶対核家族なアメリカでは、自由に価値がある。権威を認めないため、政府は嘘をつくという前提で、ジャーナリズムが発達する。個人が社会の単位であるため、記者が主人公にするのは、(弱い立場の)個人。肩書きに関係なく、取材に行くことも容易。仕事は個人でするし、優秀なITジャーナリストなら社長より高い報酬を受け取る。
直系家族な日本は権威を認める。政府は国という単位の「父親」なので、従うことに違和感はない。新聞社という単位では、社長が記者よりエライ。組織として動くことに違和感がないので、署名記事でなくてもOK。記者クラブも、同業他社間での権威の調整機能。
同じ、直系家族の韓国、台湾、ドイツ、スイス、スウェーデンのジャーナリズムと比較できると、理解が深まるかもしれません。