メルトダウン 

大鹿靖明  講談社 2012/1

AERA記者による原発事故ドキュメント。今年一番面白い本でした。責任ある地位にある方には、一読してほしいと思います。危機管理のルポになるはずが、権力闘争ルポになっているのですが。

冒頭は、生々しい地震直後の福島第1原発。地震で大きなダメージを受けたのがわかります。

いくらメンテナンスによる補修工事で原発や周辺機器の部品を新品に取り替えたところで、建物は建てた当時とほぼ同じだった。原発自体の耐用年数だけでなく、建物や施設全体の構造にとって40年はあまりにも長すぎたのである。p.8

 その時東電の会長・社長は本社にいませんでした。

奈良に滞在していたことを部下の鈴木広報部長が「財界人との会合のための出張」と言ってトップをかばってきたのにもかかわらず、当の清水自身が満座の記者会見の席上、「奈良にいたのは何故ですか?」と聞かれると、「プライベートなことなのでお答えできません」と言っている点だった。p.18

 
 社長は自衛隊機で帰京を図りますが、防衛相の鶴の一言で離陸15分後にUターン。翌朝ヘリコプターで東京に戻りましたが渋滞で出社できませんでした。
 こうしている間にも、全電源喪失による事故は進行します。

原子力村のお歴々はみな巨大津波の想定を知っていたのだ。それなのに、会長の勝俣にも社長の清水にも知らせなかったという。p.32

 そして、ベントに追い込まれます。「その量は微量」p.72 と伝えられましたが、

 福島第1原発事故で大気中に放出された放射性物質の量は、半減期が30年と長いセシウム137で見ると、広島に落とされた原爆の168個分にもなる。

 SPEEDIが活用されなかったことについて著者は、

日本の最高学府を出て政府に勤める男たちは、国民の安全に対する当たり前のことに、遂に一度も思い至らなかった。p.76

 ベントにもかかわらず1号機が爆発。下村内閣審議官が、

「班目さん、今のはなんですか? 爆発が起きているじゃないですか」
 そのとき斑目は、(中略)「アチャー」という顔をした。両手で頭を覆って、「うわーっ」とうめいた。頭を抱えたまま、そのままの姿勢でしばらく動かない。p.94

 下村審議官いわく

みんな学校秀才なんだ。学校の先生が試験に出すと予告した範囲内では必死に勉強して100点は取れるけれど、少しでも範囲外だと0点なんです。p.95

 官邸にいては情報が取れないことがはっきりしたため、東電に統合本部を設置。

午前5時25分、菅が乗り込んできた。課長の一人はてっきり自分たちを総理が激励に来たのかと思っていた。だが、違った。いきなり罵倒したのだ。p.129

 東電も東電で、2号機が爆発したという緊急事態にもかかわらず、退避の件で「稟議書」を作成していました。

この緊急時に稟議書かよ、一部始終を見ていた寺田は愕然とした。p.131

 東京で揉めている間に4号機が爆発。その時保安院の現地事務所は、

3月11日の震災発生当時、検査官事務所には東京の保安院本院からの出張組み1人を含めて8人がいた。(中略)事故時に保安検察官は現地を確認し、本院に連絡する重要な職責を帯びていたが、よりによって総理大臣の菅直人がヘリコプターで乗り込む3時間前に現地を撤収したのだ。p.136

 東電社長も入院してしまいます。

清水は入院中の4月4日、三井住友銀行に対して住宅ローンの残高を全額返済している。(中略)
 それも、担当の銀行員を病室に呼んで手続きを任せるのではなく、パソコンに暗証番号を打ち込んでおこなっている。p.141

 第7章では、2兆円の融資の話が出ています。東電に緊張感はなく、経産省は「暗黙系の政府保証」を匂わせ、メガバンクが期末に現金を振り込んだ様子が書かれています。
 その経産省は、賠償スキームを主導できません。

本来は経産省資源エネルギー庁が全力をあげてたたき台をつくるべき作業なのに、実行部隊は各省庁からの寄せ集めの内閣官房経済被害対応室にゆだねられ、しかもキーマンは財務省の人間だった。
 これほど経産省の政策立案能力が低下した事態はなかった。p.192

 賠償スキームの中の東電の負担については、当初、報酬半減としていました。しかし、その金額は「民間企業なので開示できません」との回答。

勝俣と清水の報酬は7300万円という回答を得たのは、さらにその次のインナーだった。たった、これだけのことを聞くのに、3回も会合の回を重ねなければならなかった。しかも半減といっても十二分に高給である。東電の異常な感覚に政治家たちは、呆れ返っている。p.228

 切りがないのでこのへんで。