WHERE DO BROKEN HEARTS GO…

地震で崩れ落ちて以来、どこに行ったかわからなくなっていたホイットニー・ヒューストンのベスト版を探し出しました。
 私の世代であれば、彼女の歌声に出会った衝撃を覚えていることでしょう。私の場合は、たしか、BEST HIT USAで”Saving All My Love For You” を聞いたのが最初だったと思います。

 デュラン・デュラン、マイケル、マドンナとMTVの威力をフルに生かしたバンド/ダンサーが日本に上陸していたのですが。彼女は歌声だけで私をノックアウトしたのでした。当時はまだディーヴァという言葉がポップスのアーティストに使われてませんでしたが、彼女が切り開いた世界でしたね。
 1985年のヒットチャートはこちら。

 マドンナ旋風が吹き荒れた年でしたが、24位 Material Girl の25位だったんですね。最初からアメリカ人に認められていたのですね。
 改めて聴くと、やはり抜群の歌唱力に圧倒されます。あぁ、悲しい (T_T)

 もし、私が彼女の父親だったら、どんなアドバイスをすべきだったかと考えます。娘が歌いたいといえば、頑張れと言ったでしょう。いとこのディオンヌ・ワーウィックよりも売れたのは、彼女の容姿があった思います。大迫力の女性ボーカリストは、ドッシリした方が少なくなかったですが、彼女のスタイルの良さは飛び抜けてましたね。
 デビューからは破竹の勢い。どこかで休むべきだったかもしれませんが、1992年に映画に挑戦。これが大ヒット。30歳を目前にして、結婚が視野に入るのは自然な流れ。こんなスーパースターが、素人と会う時間があるわけもありません。アーティスト同士でも反対しなかったでしょう。娘が生まれておじいちゃんに。世界で一番幸せだったかもしれません。振り返れば、娘に安らぎが一番必要な時だったとしても。
 ピークがあれば、あとは下り坂になります。全盛期の声がでないとわかったとき、天才アーティストはどうすべきなのか。ライブでキー下げればよい問題ではないですね。ファンは全盛期のCDを聴きこんで会場に来ています。それを越えなければ、プロと言えない。そのプレッシャーたるやいかばかりだったか。スポーツ選手は引退という区切りが早い段階できますが、歌手はそうでもありません。
 これだけ素晴らしい曲と思い出を世界中に届けてくれたのだから、それに感謝しなければいけませんね。

 ご冥福をお祈りします。