「中国化」と「江戸時代化」をキーワードとした日本通史。日本史を学んだのが30年以上のオジサンにとっては、この間の日本史研究の進歩を実感する1書です。
「中国化」とは、宋代中国(960年 – 1279年)の統治原理を一般化した概念。著者は近代化は宋に始まったとし、その特徴を以下のようにまとめています。
- 中央集権
- 身分制撤廃 / 科挙導入
- 移動の自由 (伝統的な部族社会の解体)
- 印刷メディアを駆使
- 自由経済
つまり、宋朝中国とは、
可能な限り固定した集団を創らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会 p.48
でありました。結果として、以下のような現象が起こります。
- 権威と権力の一致
- 政治と道徳の一体化
- 地位の一貫性の上昇
- 市場ベースの秩序の流動化
- 人間関係のネットワーク化
これは、同時代の日本にも影響します。
対中貿易を通じて宋銭をどんどん日本国内に流入させ、農業と物々交換に立脚した古代経済を一新し、かつ荘園制に立脚した既存の貴族から実権を奪いとっていく。この、科挙以外の貨幣経済の部分で、宋朝中国のしくみを日本に導入しようとした革新勢力が、後白河法皇と平清盛の協力タッグ p.45
源氏を「反グローバル化政権」p.46と解説しており、大河ドラマを観ている方には、興味深い点ではないでしょうか。
中国化につらなるのが、織田信長、明治維新、小泉政権ですが、日本では反動(江戸時代化)が常に起こって来ました。こうした対立を軸に日本史を捉えていきます。
個人的に興味深かったのは、陽明学的な「動機オーライ主義」 (小島毅『近代日本の陽明学』)。坂の上の雲のあの明るさがわかります。
一方、昭和に入ると、江戸時代化へ。父親不在の時代風景を、『わが谷は緑なりき』と『ラピュタ』を用いて説明していました。日本企業の「村社会化」が描かれており、日本の企業別労働組は、欧米とは別物(「労働組合を名乗る組織」、野村正實氏)であるのが納得いきます。
世の中には、レーガン・サッチャー革命によって世界が変わったとみる向きもあります。しかし、著者は、中国の改革・開放によって全世界的な「中国化」の時代が始まった。世界の方がいま、やっと中華=近代化を余儀なくされつつある。
宋朝以降の中国の国内秩序と、現在賛否両論の「グローバリズム」の国際秩序は、すごく似ていて。よく言えば徹底的な競争社会、悪く言うと弱肉強食の格差社会で、形式的には「平等」な条件で自由競争していることになってるにもかかわらず、実態としては猛烈な権力の「一極化」や富の偏在が起きている。(著者のインタビュー)
小泉政権は、
どうせ放っておけば日本社会は「中国化」するものだと見切りをつけて、いかにその流れの中で権力を手放さずにいられるかを研究し、ついに中国皇帝ばりの統治術をみにつけた p.251
と分析します。具体的にいいますと、
- 中間集団をあてにしない
- 生活以外で満足してもらえる方法を考える
- 支持者を1種類に限定しない
- 道徳的に劣った存在にだけは見せない
- 結果よりも動機の美しさを強調する
他にも、私には、目からウロコのコメント満載です。
夢あふれる添加統一のビジョンなんて誰も持ってなくて、毎年が天保の大飢饉状態だったので、餓死寸前の難民どうしが血で血を洗う略奪合戦をやっていたのが、真の戦国時代なのです。p.76
地元に道路を敷きホールを建てるのが政治家の仕事であるという通年が、戦国時代以来500年の伝統になっている p.78
どうせ国民は「あらゆる税は悪い税」という百姓一揆にレベルの民度 p.253
では。
【参考】
- 文藝春秋社のホームページ
- 著者インタビュー (2011/12)