山の向こうはなんだろう 土居 甫 2003
ピンクレディ世代必読。今年度私が読んだ本の中で一番面白かったです。文章うんぬんではなく、土居甫先生の人生が面白すぎです。
著者は、1936年愛媛県宇和島の生まれ。父親は闘牛場の興行師という荒っぽい家庭に育ちます。
小さい頃に宇和島の山や海を駆けまわったことが、強靭な足腰を作ります。御本人もヤンチャで、警察のご厄介になっていたようですが、ペッパー警部で大ヒットを生み出すわけですね。
宇和島は、いまでも行くのが大変なのですが、戦後は情報が今とは比較にならないほど少ない時代でした。
そのうち「マッサカサマというのがけっこう良い人らしい」と大人たちが噂するようになった。うちのほうではマッカーサー元帥が」「マッサカサマ」になっていたわけだ。
p.25
しかし、実家が映画館もやっていたので、映像を通じて新しい文化に触れていきます。
そんな著者を芸能界に導いたのが、たまたま宇和島にいた獅子文六。こういう細い縁がピンクレディーにつながるのですね。
宇和島南高校に進学するのですが、この時は家督を継ぐと考えていました。直系家族な宇和島。映画だけでなく、浪曲一座で興行も打つのですが、失敗。この時に、時代の流れを読む大切さを学んでいます。
浪曲師の南条文若が三波春夫として、酒井雲坊が村田英雄として歌手に転じたり、玉川カルテットのようにコミカルな路線に転じて成功した人たちもいた。かたくなに、俺はこういうことしかしないという人たちもいた。大衆芸の場合、自己満足して、自分の芸に固執すれば、お客さんのニーズが変わった時、舞台からさっていくしかない。
p.49
そして東京へ。当時東京に出るのは、今でいえばNYに行くようなもの。たった一人の跡取り息子を文句も言わずに芸能界にやった親も大したものだと思います。実は、裏から手を回して息子を支援までしていました。
東宝芸能学校では、おひょいさんと同期。当時は、土居=演劇、藤村=舞踏だったのに、後に逆になります。人生面白いですね。藤村先輩が、ドリフの「えんやー、こーらや」の振付をしていたのには衝撃を受けました。
しかし、このころ演劇のガヤをやっていたことが、その後の芸の肥やしになるんですね。「ギャグは計算なり」と、ハナからアドリブに頼る姿勢を嫌う姿勢などは、後に、TVで役に立つことになります。なのに当時は
ダンシングチームというのも、それほど気乗りしなかった。(中略)男のタイツ姿というのがどうにも不様に思えてならない。踊りイコールおかまという偏見もあったと思う。
と思っていました。振り返れば、なんでそんなことに囚われていたのかと思うことがあるんですね。それが『ウエスト・サイド物語』で人生が変わります。27回観て、ダンスで行く決心をします。
中盤にから印象に残るのが、「まず手を挙げる」という姿勢。「バック転のできるヤツは申し出ろ」と言われて、手を挙げる。その後バック転の練習する。「コンガのできるやつは手を上げろ」と言われて、手を挙げる。その後コンガの練習をする。勝ちあがるためのプロ根性を学べます。
この時、東南アジア・ツアーに参加。自分のダンスが世界でも通じる手応えを得ます。
帰ると、TVの時代が始まっていました。この時、「スター誕生」に参加。参加する際に、これほどのお化け番組になると予測してなかったことが率直に語られています。チャンスって、そういう形で転がっているんですね。森昌子、桜田淳子、山口百恵、ピンクレディー、中森明菜、小泉今日子など総勢88名の振付に関わります。やはり、秀逸なのは、ピンクレディーのエピソード。
売り出しの方針を聞くと、「キャンディーズのイメージで売り出したい」と言う。がっかりした。あの二人にそのイメージはない。(中略)第一キャンディーズにしたいなら、彼女たちに振りつけた西条満に頼めばいい。
p.177
レッスンをつけ始めて間もなく、自分でも不思議なくらいノルのがわかるようになった。そのうち二人の魅力に気づきだした。都会育ちにはない野生の匂いがする。しかも二人組だから、振付師にとってはおもしろい素材だ。もしかすると、俺がずっと探し求めていた素材にめぐり合ったんじゃないか、そんな気がしてきた。彼女たちなら、多少キワモノ的な踊りになっても不自然じゃない。
p.178
これまでの日本の歌謡界になかった大胆さ、パワー、ドライな感覚を出したい。歌の振付は流れの美しさや、動きの流麗さを重視する傾向があるが、それを無視してぶち壊してやろう。
p.181
ペッパー警部は『ピンクパンサー』S.O.Sはキートンの映画。カルメン’77は闘鶏。ウォンテッドは『俺たちに明日はないからヒントを得たのだとか。みな、宇和島時代につながっているのが興味深いところです。
ピンクレディー解散の背景を子供人気に傾いたためと分析してました。本来は大人のエンターテイメントのはずが、子供人気に合わせたら、自分の立ち位置がわからなくなってしまったと。
最後に劇作家の福田善之さんの土居評。
組み合わせに満足しない。じっくり考えながら試行錯誤をくり返して作る。(中略)芝居の稽古は油絵を描くようなものだと思っている。土居ちゃんの振付がまさにそれですね。日本の伝統芸能、あるいは商業演劇にしても1回でパッと決めたがるわけです。よくいえば日本画のようなもので、サッと線を引くと、それで決まる。対して油絵は何度も何度も上から塗り重ね手描いていく。
p.238
土居先生の故郷に行ってみたくなりました。