山本七平 文藝春秋 1987
ルソン島で砲兵隊本部の少尉の日本軍論。日本人の組織論としても読めます。60年が経過した今でも、日本人を知るためのヒントがあちこちに埋まっています。
最初に気づくのが、徹底的な調査なしに、重大な決断をしてしまう愚。著者が教育を受けたのは、昭和18年8月だったにもかかわらず、初めて対米戦闘の教育が始まります。
それなのにわれわれの受けている教育は、この「ア号教育」という言葉を聞かされるまで、 一貫して対ソビエト戦であり、想定される戦場は常に北満とシベリアの広野であっても、南方のジャングルではなかった。p.39
それは「日本の陸軍にはアメリカと戦うつもりが全くなかった」という実に奇妙な事実である。 これは「事実」なのだ。そして何としても理解しがたい事実なのである。p.41
ここからは、硬直した組織の思考停止以外に、「慣性の法則」も学び取ることができます。
別にわれわれは、対ソ戦の要員ではなく、結局、それ以外のことは教える能力がないから、 今まで通りにそれを教えていたにすぎなかった。p.42
批判の矛先は、エリート主義に向かいます。帝大出身者のエリート意識は高くかった。
少尉に任官すれば、新聞配達どころか逆に当番兵がつき、身の回りの世話はすべてやってくれて、殿様のようになってしまう。演習から帰った将校が将校室の机に腰を掛け、足を椅子の背に乗せ、顎をしゃくって「オイ当番」と言えば、乗馬長靴を脱がしてくれる。p.50
中盤では、「員数主義」を批判します。
すなわち「数さえ合えばそれでよい」が基本的態度であって、その内実は全く問わないという形式主義、それが員数主義の基本なのである。p.136
ネグロス航空要塞の例が出てくるのですが、現代企業にも、数合わせで失敗する例が後を絶ちませんね。
その次には、「私物命令」に矛先を向けます。私物命令とは、
上官個人が命令権を私有化し、その私有化に基づいて恣意的に下す命令 p.152
です。権限者が知らないところで、権限の無い人が、実質命令にちかい指示を組織に出す。そんなバカなと思うのですが、「空気」が支配すると、そういうことが起こる。後から、検証が始まると、エラい人はみな責任を逃れることができて、過分な責任を末端のリーダーが負う「私は貝になりたい」のような状況になる。今の日本でも、「秘書が…」というのはありますね。
後半では、収容所の模様から、日本人論を展開します。興味深いのは、他国の軍隊では、収容所でもコミュニティを形成して秩序を打ち立てようとするのに、日本人は暴力が支配すること。軍では、直属上官の直接の厳命でもやまないリンチがありました。(p.298)
日本軍の組織は、外面的には階級だが、内実的な自然発生的秩序はあくまでも年次であって、(中略)
そしてこの秩序の基礎は前述の「人脈的結合」すなわち”同年兵同士の和と団結”という人脈による一枚岩的結束と、次にそれを維持する暴力である。p.299
相撲部屋を思い出します。
日本軍での「責任」という意味の違いにも、触れていました。
だがこの責任感という言葉は「自らの発送尾、自らの決断、それに基づく自らの意志で行った故に私の責任である。(中略)」という意味の責任とは全く別の言葉、むしろその逆であって、自らの背金を回避するために盲従すること、いわば命令への盲従度を計る言葉であった。p.278
そういう組織は、外部の人の理解を得ることができません。
他人に言葉を奪えば自らの言葉を失う、したがって出てくるのは、八紘一宇とか大東亜共栄圏とかいった、「吠え声」に等しい意味不明のスローガンだけである。p.304
“解放者”日本軍が、なぜ、それ以前の植民地宗主国よりも嫌われたのか。それは動物的攻撃性があるだけで、具体的に、どういう組織でどんな秩序を立てるつもりなのか、言葉で説明することがでれにもできなかったからである。p.305
海外展開して失敗した企業が頭に浮かびますね。
実に学ぶことの多い本でした。
では。
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