【本】 安心社会から信頼社会へ

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

山岸 俊男 中公新書1479 99/6

北海道大学教授による日本文化論。社会心理学のアプローチから、日本の「安心社会」の解体を浮き彫りにし、その解決策としての「信頼社会」の構築を説くいています。

人を信じることは、おろかなお人好しのすることでしょうか。それとも逆に、誰も信じないで「人を見たら泥棒と思え」と思っている人こそ、おろかな人間なのでしょうか。

と著者は、冒頭で問います。単純な性善説と性悪説の話ではなく、社会における信頼の意味を説明し、その費用と利点がよく理解できました。
p.237以降で要旨が示されているので、ここから各章に立ち戻ると時間が節約できます。

筆者は現在の日本社会が直面する問題を、「信頼崩壊」の問題としては考えていません。そうではなくて、これまで「安心」を提供してきた集団主義的社会の組織原理が、機会費用の増大というかたちで高くつきすぎるようになったことが生み出した「安心崩壊」の問題と考えています。

この信頼と安心の区別については、p.21あたりに記述があります。

「安心」とは、相手が自分を搾取する意図を持っていないという期待の中で、相手の自己利益の評価に根ざした部分です。たとえば、「針千本マシン」を装着した相手が約束を破らないだろうという期待は、この定義によれば信頼ではなく安心になります。これに対して「信頼」は、相手が自分を搾取しようとする意図を持っていないという期待の中で、相手の人格や自分に対して抱いている感情についての評価にもとづく部分に限られます。

これまでの日本社会を特徴づけていた集団主義的な社会関係のもとでは、安定した集団や関係の内部で社会的不確実性を小さくすることによって、お互いに安心していられる場所が提供されていました。そこで人々が安心していられたのは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず相手の人間性を信頼できたからではなく、集団や関係の安定性がその内部での勝手な行動をコントロールする作用をもっていたからです。(中略)
「安心社会」の崩壊は、必ずしも「信頼社会」のほか意を意味するわけではありません。むしろ逆に、「安心社会」の崩壊は、日本社会を「信頼社会」へと作り替えるための良い機会を提供しているのだと考えるべきでしょう。p.22

最近の年金問題に当てはめて考えると、これまで安心だと思ってきた年金が信じられなくなった結果、年金システムを維持する費用が、跳ね上がった。社会保険庁解体とその後のモニタリングのコストを考えると、その影響の大きさが理解できます。
正念場は、むしろ信頼社会を構築できるかなんですね。

では。

安心社会から信頼社会へを読む