フューチャリスト宣言
梅田 望夫, 茂木 健一郎 ちくま書房 2007/5
ウェブ進化論の梅田さんと、脳科学者の茂木さんの対談。これまでの発言の延長線上の話ですが、元気をもらうことができました。
フューチャリストとは、「専門領域を超えた学際的な広い視点から未来を考え抜き、未来のビジョンを提示する者」(P.207)。改めて定義されると、最近の日本でピンとくる人がいないのに気づきます。
戦前では軍部、戦後では通産省がビジョンを示してきました。それが、バブルが崩壊したあたりから、ビジョンを語る人が少なくなってきました。
私(茂木氏)が未来に興味を持つきっかけになった原体験は、間違いなく、アポロの月着陸だった。
当時の世界は、「明日」は「今日」と異なり得るという「未来感覚」にあふれていた。人類が必ず宇宙に進出するだろうと多くの人が信じていた。もうすぐ「地上の太陽」としての核融合が実用化され、原子力飛行機が飛ぶんではないかと思っていた。階期では魚の牧場をロボットの潜水艦がパトロールするようjになるんだろうと信じていた。(P.10)
この原因を自主規制や談合としています。その例として、日本の電機産業が、インターネットについていけなかった理由が、P.37にあります。
日本の電機産業は、電力会社と放送局と政府とNTT、ここに納めている部分がかなり大きいんですね。国のインフラを用意するというメンタリティが会社全体にあって、その中に人材が囲い込まれて、かつてはそれなりにイノベーティブだった。(中略)
ところがインターネットが出てきた瞬間に、インターネットの性質というのは極めて破壊的、アナーキーなので、そこに踏み込めなくなった。(中略) 何かをやろうとすると、必ずいまの社会を支えている仕組みに触るからそこで最後まで行ってやろういう狂気が生まれない。アマゾンやeベイだったら、小売・流通のしくみが壊れるとか。ユーチューブだったらメディアが壊れるとか。壊して何かをやろう、あるいは壊して当たらしものを創造しようということとインターネットの性質はイコールなんです。
iPod vs Walkmanの議論で整理したい課題です。
それでも、ネット社会について、二人は、相変わらず楽観的ですね。P.92では、村上春樹氏の言葉「正しい理解は誤解の総体」を紹介しています。Wisdom of cloudsとか、言いますが、そもそも、そういうものなんですね。
話は、教育に展開します。
日本の教育では基本的に「範囲」があって「正しい範囲」を押さえた人が、最終的に大学入試で受かる。(P.117)
と日本の教育の本質を談合と批判。これから必要なのは、「無限の広い地図のなかから、自分の行くべき道を探し得る能力」(P.110)としています。梅田さんは、知識の体系ができるまえから、アイデンティティが問われるアメリカの教育が、これからの時代に親和性が高いとしています。
ただ、こここは、社会の構造がやはり違いますし、日本人には、日本人なりのネット利用というのがあると私は思っています。たとえば、「間人主義」の話など興味深いところです。
この教育論については、今後の議論を楽しみにしたいと思います。
個人と組織の関係については、
僕(茂木氏)はこれからの時代における個人と組織の関係は、所属というメタファーではななくてアフィリエイト(連携)というメタファーで捕らえるべきだと思っています。P.121
最後に社会についてですが、
今までの日本社会の勝者って、談合にうまく乗った人というところがあったじゃないですか。アンダードッグ(負け犬)というか、マヴェリック(一匹狼)たちが、うまくネットを使えば幸せになれる、という可能性があるから、僕(茂木氏)はネットの側に賭けたいと思っている。
それに梅田さんは、リアルで満足度の低い人ほどネットへの関心が高いことを指摘(P.128)。今後の日本社会の対立軸を鮮やかに提示しています。
「ネットカフェ難民パラドックス」とでも言いましょうか。最も経済的に困っている人が、ネットの最先端で寝泊りする。政策担当者は、ネットへの関心が低いので、なんでそんなところにいるのだと奇異な思いを抱く。
企業の2極化、所得格差、地域格差、世代格差が話題になっていますが、ネットという軸が、スパっと入ってくるんですね。
ネットをめぐるディスカッションを通じて、自分の生き方や、日本の将来についていろいろ考えさせられる本でした。
では(^^)/^