「開発学への開眼―私の研究遍歴」
2007年1月17日(水)午後2時40分?4時10分
早稲田大学 西早稲田キャンパス15号館101教室
久々に先生の講義を聞きましたが、よかったですね。台湾生まれの先生は、高校から早稲田一筋。通算55年も、早稲田に所属していたのは、現役最長ではないかとのことでした。
内容は、これまでの研究を総括するもので、コアとなるのは、従属論や内発的発展論でした。研究の4つの段階は、以下の通りです。
1.ヨーロッパ近代論、市民社会への傾倒(50-60年代)
2.南北問題への開眼(60年代後半?)
3.平和研究と内発的発展論(70年代後半?)
4.グローバル化時代の市民社会論(90年代半ば?)
各段階へ関心が移る際には、先生の個人的な経験があったそうです。1963年にパリに留学すると、シャンゼリゼ通りには、世界中から「集めた」ものが並んでいる。確かに、パリにはルクソールで見たオリベスクが聳え立ってますね。
一方、66年にアルジェリアに赴くと、ベトナムの女性が物乞いをする姿に遭遇する。こうした現実から、構造学派や従属論の研究に進みます。
72年の沖縄復帰の際には、沖縄を知る人が少ない現実があり、平和への研究にも関心が広がります。また、南北問題は、日本国内の問題でもあると意識し、内発的発展論に研究が移ります。
面白いと思ったのは、90年代に入り、グローバリゼーション時代になったときに、NPO・NGOの存在感が増したことです。市場経済が国境を越えた時に、市場と政府の失敗を埋めたのが、NPO・NGOだったんですね。
早稲田については、「志立大学」になってほしいとのことでした。「バカがいるのがワセダ」というのは、言い得て妙でした。
最後は、亡くなった鶴見和子先生の内発的リハビリテーションの話でした。あるべき患者像とは、
- 自己決定権と自己責任
- 上手に質問し、主張する
- 喜び、怒り、不満をうまく表現し、医療者の認識に働きかけて変える
- どうしてもダメな医療者は変える
のだそうです。
これが、援助の世界にも、当てはまるのだそうですが、会社でも使えるのではないでしょうか。
締めのコメントは、鶴見先生の歌でした。
「車椅子に乗りて歩めば目線低く 小さき花の溌剌と見ゆ」
先生からは、「目線は常に世界に向け、弱きものに光を当てる」ということを教わったと思います。
では。
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【参考】
・西川潤教授ホームページ