ムーランとコーリャン

「おお、コン・リーだ」ディズニー映画に最も縁遠いオジサンは、『ムーラン』に出てきた魔女を見て、30年前の中国を思い出した。

彼女を初めて知ったのは、『紅いコーリャン』(1987)。中国の山口百恵と言われていましたが、どちらも古くて、若い人には何のことかわからないでしょう。彼女の出身地、遼寧省瀋陽市を私が訪ねたのが1990年。天安門事件(1989)の後で、外国人がほとんどおらず、瀋陽の町も夜は真っ暗でした。英語が全く通じず、私が最初の覚えた中国語は「没有(めいよう)」 お店に物が十分になかった時代です。

当時の日中間は、交流も限られていました。電話すると3分3千円。メールもないので、ペラペラな紙に手書きで手紙を送り、返事が来るのに1ヶ月かかっていました。中国の映画などほとんど見なかった時代。『紅いコーリャン』の完成度に驚いたのを覚えています。

あれから30年。彼女は結婚して、国籍が変わったのを知りました。ハリウッドの映画に出演し、英語しゃべってました。すごい努力ですね。90年に北京大学を往訪しても、英語を話す人に会いませんでした。アメリカとは国交ができたとはいえ、資本主義国は敵国。私より上の世代は、むしろ、共産主義を学ぶため、中国のエリートはロシア語を勉強していたとおもいます。

ハリウッド映画も白人だらけ。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』に中華系の登場人物いましたっけ?Fujitsu さんに、”You are terminated”と言われるぐらいだったかと。それが、ディズニーが、アジア系キャスト+All Englishな映画を、中国でロケするようになるとは。

ここまでであれば、米中の相互理解が劇的に進んだ、ということなのですが、新疆ウイグル自治区をロケ地に使った等でボイコット騒ぎに。なんとも、複雑な世の中になったものです。

では。