3.瓦礫撤去
本日の活動地は、米崎地区。平屋が津波でヤられているなと思ったら、海岸から流されてきた2階建ての家の2階部分だった。たしかに、田んぼの真中に住居を建てる人はいない。
現地に着いて準備に入る。雨もやみ、なんとか作業はできそうだ。 大津市の給水車がやってきた。現地では今でも、断水が続いている。 本日の作業地点は、被災者から見える場所なので、撮影は禁止。
一輪車を転がして現場に向かう。 小高い丘の上なので、はるか先に海が見える。こんな所まで水が来たなんて信じられない。津波が来たら高い場所に逃げろというが、ここは「高い場所」なのだった。
10数名の班ごとにエリアを決めて、瓦礫の撤去開始。田んぼはぬかるんでいるため、重機を入れることができない所もある。ガラスの破片が刺さったままでは、田植えはできない。人でで一つ一つ除去が必要な場所なのだった。
電信柱が倒れている田んぼに入る。落ちている瓦をどけた。カワラはズシリと重い。水の中に入れたら沈むはず。なのに、数十枚がそこらじゅうに落ちている。家が流されているのだから、カワラが運ばれるのは当たり前なのだが、そんなところから津波に威力を知る。
ペースを掴んでひょいひょいカワラをどかして行ったら、蛇が出てきた。思い切りのけぞる。我ながらよいリアクションだったが、女性の前でちょっと恥ずかしい。
今日は、雨が降った後なので、それほどでもないが、乾燥していたら、粉塵がひどかったはず。マスクは2枚重ねにし、ゴーグルがなければ辛かっただろう。また、ガラスの破片が多いので、軍手では手を守りきれない。やはり、ビニール製の丈夫なものが良いと思った。
10分ほど作業をすると、早くも汗が出る。瓦礫をどけているだけなのに、運動不足の身には結構な労働になっている。これから暑くなったら、作業は相当困難になるのがわかる。
表面がキレイになっても、カワラが土の中に埋まっている。スコップで掘り起こしてどける。家の壁面材が土の中でボロボロになっているが、一片ずつ除去。気の遠くなる作業だが、40人で力を合わせると、徐々にきれいになる。 結婚式の写真を見つけた。こういうものは「宝物」として、カゴに入れて持ち帰る。
1時間経過したところで休憩。ボランティアは何か目標が定められているものではない。あくまで「Best Effort」 再び作業開始。要領は得てきたが、シャツはびしょびしょ。水を補給しながらやらないと、脱水症になりかねない。拾っても拾っても、出てくる瓦礫。いったい元に戻る事などあるのかなとも思昼食のために駐車場に戻る。タンクから細く流れるる水をすくって顔を洗う。仮設トイレで用をたす。
おにぎりを食べる。心なしかみな言葉少な。同じグループの女性が、参加者にチョコレートを配ってくれた。こういう作業をしているときに甘いモノはありがたかった。
1時間ほど休んで、再び田んぼに戻る。貝の養殖の網が田んぼに潮の匂いをばらまいている。気温の上昇もあって、匂いが指に髪に離れない。
線路が2本の形のまま流されてきている。踏切の土台も転がっている。海辺を見ると、単線の陸橋がある。あのあたりから流れてきたのが信じられない。
再び作業。男5人でコンクリートの塊を持ち上げたときに、腰に痛みが走る。中年が無理をすると、ろくなことがない。こんな作業を2ヶ月続けている自衛隊は、偉大なのだった。
1時間ほどの作業で本日終了。もう、終わり?という気もしたが、燃えつきるまでやらないで、また来ようというところで止めておくのがボランティアなのかなとも思う。
車に戻ると汗まみれの下着を取り替えたくなるが、シャワーがあるわけではない。友達がくれたウェット・ティッシュがありがたかった。
被災した地域は広大で、本日作業したのは「点」にしか見えない。被災者から話を聞いたわけでもなく、私の作業が、被災地の復興に役立つのか確証があるわけではない。
再び市街地を通りながら、遠野へ戻る。盛岡選出の代議士から、街頭演説の話を聞いたことがある。冬の寒い日、彼は、人気のない雪に覆われた田んぼでも、街頭演説をする。拍手があるわけでも、反応があるわけでもない。岩手の人は、そういう人の目につかない努力をどこかで見ていて、そういう努力をする人を評価してくれるのだと。そういう努力を被災地のために重ねなくてはと思う。