最初になるほどと思ったのは、アメリカで素直に基礎を学ぶ姿。自動車もGMから学びましたが、ホンダも、GEを始めとするアメリカの先達から学んでいます。それも、その創業者の言葉が源流になっています。
自動車を始めてから400億円くらいの損害を被っています。400億も出せばどんな良い技術屋でも世界中で雇えますよ。どんな良い技術でも買うことはできます。しかし、買ったものはあくまで買ったものなんです。どんなに苦労してもよろしい。みんなで本当に、自分で考え出したものこそ、尊いんだ。
p.53
そんな創業者も、創業時は、苦難の連続でした。1937年にピストンリングを納入した時のエピソード。
トヨタ自動車に収めようと3万本ほど作った中から宗一郎自身が厳選した50本を送り出した所、トヨタから合格認定を受けたのは、たったの3本だった。
p.104
1952年、46歳で藍綬褒章を受賞した歳、高松宮から、発明は大変でしょうとお声をかけられたのに答えて、
全くれないと同じですよ。苦しいと言えば苦しい、楽しいと申せば、またこれほど楽しいものはありません。俗言に『惚れて通えば千里も一里』という言葉がありますが、他人から見ればよくもまあ夜も寝ず苦労して、と思われることでしょうが、本人にしてみればこれほど楽しいことはありません。
p.107
トーマス・エジソンの言葉が引用されていますが、まさにそのとおり。
I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work. Many of life’s failures are people who did not realize how close they were to success when they gave up.
Thomas A. Edison
そんな本田社長を、藤沢副社長が評して曰く、
社長には、むしろ欠点が必要なのです。欠点があるから魅力がある。つきあっていて自分の方が勝ちだと思った時、相手に親近感を持つ。理詰めのものではだめなんですね。
p.190
飛行機の話なのに、創業者の引用だらけですみません。開発は30年間逆風に次ぐ逆風。p.300
Kites rise highest against the wind, not with it.
Winston S. Churchill
こうして実用化されたホンダジェットは、日本の航空産業も変えます。たとえば、住友精密。かつてゼロ戦のプロペラを造った名門も、敗戦後は、「孫請け」に留まっていました。同社がホンダジェットのランディングギアを担当しています。一次サプライヤーとしての道が開ける。
また、大阪の立売堀の話も出てきます。由良産商の由良豊一会長の話は、p.357。エレキの仕事を失った部品メーカーが、ジャパン・エアロ・ネットワーク を通じて航空機産業に参入していくというのは、励まされる話でした。
次は、Civic for the Moon ですかね。
では。