【本】アメリカ海兵隊

アメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新

野中 郁次郎 中公新書1995/11

海軍と海兵隊の違いはなにか。軍組織に疎い私には、そんなところからも勉強になりました。興味深いのは、不要と言われてきたため、自己革新を遂げたという点でした。太平洋戦争は、海軍と海兵隊に負けたわけで、日本企業が、海兵隊を研究する意義は十分あると思いました。
最初に微笑ましいのは、創設のエピソード p.4。

海兵隊の最初の新兵募集はタン・タバーンと呼ばれる居酒屋で、(中略)一説によると、海兵隊などといっても誰も知らないので、酒場で泥酔させたところで入隊のサインをさせ、引き立てていったといわれる。(中略)
最初の海兵隊司令官は、サミュエル・ニコラスという居酒屋の経営者であった。

当初は、海軍のクルーの見張り役でした。その後、監視の必要がなくなると、海兵隊は、存亡を書けて、対日戦略を考えます。そこで編み出したが「水陸両用」。航空母艦を起点に、海と空から太平洋の島々を一つひとつ奪取する。それまでの巨艦主義からは出てこない発想です。

いかに衆知を集め、決まった後に徹底して実行できるか。組織力が究極にまで高まった組織でした。海兵隊が衆知を集める2つの仕組みは、p.168。
ひとつが、司令官が公表する推薦図書。全員に議論のきっかけを提供します。
もう一つが、月刊誌Marine Corps Gazetteにある自由投稿欄。議論を常に推奨するのですね。ハンモック・ナンバー(海軍兵学校の卒業席次)に象徴される年功序列が最後まで崩れなかった日本軍とは大違いです。

徹底した実行を支えるのは、精神的なバックボーン。海兵隊のモットーは、Always faithful.

軍隊は通常30%の損害を出すと、物理的、精神的に戦闘力を喪失するといわれるが、タラワでは第2師団第二連隊が40%、硫黄島では第5師団第28連隊が75%の損害を被っても戦い続けたのである。p.156

その後は、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍します。ドメインの再定義は続きます。

原子爆弾の開発は、水陸両用作戦の価値を一挙に無にしてしまうのではないかということを海兵隊は危惧していた。(中略)新しい時代の両用戦は、「分散」と「集中」を短時間に展開しうる高度の機動力の開発を要請していた。
海兵隊はこのような挑戦に応えて、世界中のどの軍事組織より先にヘリコプターを導入した。

しかし、ベトナムでは躓きます。p.123 毛沢東の遊撃戦は、三国志や水滸伝からヒントを得ていたのですね。

敵進我退 Dí jìn wǒ tuì
敵駐我撹 Dí zhù wǒ jiǎo
敵疲我打 Dí pí wǒ dǎ
敵退我追 Dí tuì wǒ zhuī

この流れをくむベトナム軍の抵抗に、苦戦。しかし、その時にも、自己変革によって、湾岸戦争に従軍します。だいぶ、東アジアが物騒になってきましたが、軍事組織に学ぶことは、多いです。

では。