【本】at武道館をつくった男

『at武道館』をつくった男 ディレクター野中と洋楽ロック黄金時代
和久井光司 アルテス 2008/7

SMD 野中規雄社長の半生記。「日本洋楽」を通じて、70年以降の世相を振り返ることもできます。エアロスミス、チープ・トリック、フリオ・イグレシアスなど、われわれの年代にも懐かしい名前がでてきますね。

SMEでノリオといえば、どうしても、大賀ノリオですが、野中さんは、糸井重里さんと小学校から前橋高校まで、同級生なんですね。バンドを組んでたりして、青春デンデケデケデケしていました。

『at武道館』をつくった男 ディレクター野中と洋楽ロック黄金時代

30年スパンで音楽業界をみると、3つのことに気づきます。第1は、レコードが高かったこと。初任給が5万円のころにLPは3千円でしたが、初任給20万円の現代では、150円で曲を買います。なので、当時は、LP買うとジャケットを見せて歩いていたんですね。それぐらいありがたみがあった。今じゃ、iPodに何入っているのかわかりませんもんね。

第2が、情報格差。当時は、写真と雑誌のコメントぐらいしか洋楽の情報がなかったために「日本洋楽」というジャンルがあった。本国で売れなくても、日本で大ヒットというパターンがありえました。Björn & Benny(後のABBA)を日本の音楽祭に出場させたときのエピソードが笑えます。

邦題もそうですね。”Every Breath You Take”を「見つめていたい」と訳す余地がありました。それが、今では、huluでは、NBCの番組がそのまま見れてしまう時代です。

チープ・トリック at 武道館コンプリート

第3が、デリバリの技術。

CD時代になっていちばん困ったのは洋楽のディレクターだった。帯に入れられる情報の量が大幅に減り、ライナーノーツにも物理的な制限ができてしまったために、ディレクターが「ディレクターとしての芸」を見せる機械がなくなっていったからである。p.216

CDを作ったのは、親会社ですが、確かにあれ以降、洋楽の勢いがなくなりましたね。私は、ビートルズには間に合いませんでしたが、日本洋楽を楽しませてもらったのが、よくわかりました。

では。