永野 健二 新潮社 2016/11
日経記者によるバブル回顧録。平野ノラのギャグが受けているのを見て、バブルが遠くなったのを感じてました。80年代も歴史として学ぶときなのだと思います。個々の話は、様々な本で読んできた事ですが、物語としてまとめる力はさすがだと思いました。
本書は、「はじめに」が名文です。
資本主義の歴史は、バブル経済とデフレという二つの病の循環の歴史である。数十年単位でこの二つの危機の間を行き来する。やっかいなのは、バブル経済が将来のデフレの原因を育て、デフレへの対処が将来のバブル経済の原因をつくり出すことである。
80年代後半の熱狂を描くために、著者は、明治以来の資本主義から、話しを始めます。
資本主義には、優勝劣敗の冷徹な論理が働く。(中略)渋沢資本主義とは、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本独自のエリートシステムだった。p.4
戦後経済についてはこちら。
戦後の混乱期をへて、日本にまた新しい渋沢資本主義が誕生し、定着する。その主役は、「日本興業銀行(興銀)」、「大蔵省」、「新日本製鉄(新日鉄)」だった。p.4
若い世代の方には、このこの1940年体制とも言える、統制経済が伝わりにくいかもしれません。
80年代のバブルとは、戦後の復興と高度成長を支えたこの日本独自の経済システムが、耐用年数を過ぎて、機能しなくなったことを意味していた。日本経済の強さを支えてきた政・官・民の鉄のトライアングルが腐敗する過程でもあった。 p..5
この戦後経済の転換期に、日本のリーダーたちは、構造改革の痛みに向き合うことを避けたと批判しています。
私が知らなかったことは、三光汽船のジャパンライン買収の経緯。野村證券がモルガンと信託銀行を作ろうとしたこと。大蔵省証券局の改革の動き。ミネベアが切り開いた日本のM&A。三菱重工CB事件。秀和の経営史における意義など。
著者は、バブル時代を象徴する言葉として、コーリングループの小谷光浩氏を挙げています。
私の心のふるさとは住友銀行だ。p.198
同行は、マッキンゼーのアドバイスを受けて1979年に総本部制を導入していたのですね。p.208
証券界からの印象的な言葉は、野村證券田淵節也会長(1989年11月)
「海の色が変わった」 p.211
ソニーの盛田会長は、田淵会長、立花証券の石井会長と定期的に会っていたのですね。p.215
第4章では、興銀についても書いています。尾上の破産管財人をつとめた滝井繁男氏のコメント。
融資の担保を取るのに興銀のワリコーを買わせれば、逆ザヤにんって融資先が損をするのはわかりきったことなのに長期にわたって続けた。秀才が集まっているはずの興銀で、そのおかしさに気づかなかった疑問だ。p.232
組織の行く末は、リーダーの判断にかかっていますね。
では。
参考
http://toyokeizai.net/articles/-/145364
http://honz.jp/articles/-/43528