エマニュエル トッド 文春新書 2016/1
E.Todd教授の現代フランス分析。2015年1月のシャルリー・エブド襲撃事件後の民衆の反応を批判的に論評しています。
本書の主旨をP.8で単純な等式として表現しています。
宗教的空白+格差拡大=外国人恐怖症
「私はシャルリ」デモも、「表現の自由」を掲げてはいましたが、実は自己欺瞞的で無意識に排外主義的だったと批判しています。
その批判は、ただの言いっ放しではなく、データ分析を元にしてます。たとえば、p.57の地図1-a 1960年における宗教実践。キリスト教の日曜ミサに参加する成人の割合が、地域ごとに差がでているのがわかります。このフランス的なライシテ(世俗性)が、フランスを分断していました。
カトリシズムの最初の危機によってネイション空間に亀裂が入るよりも遥か先立つ現象として、平等との関係という観点で、中央部分と周縁部分が分割されていたことが確認できる。すなわち、中世の終わり頃からずっと存在した家族構造の違いによる対立である。p.62
つまり、パリ盆地とプロヴァンスなどは、平等核家族。ノルマンディーやブルターニュなどの周縁地帯では、直系家族だった(p.63)。後者は、伝統的にはカトリックだったが、今は形骸化していて、彼は、これを「ゾンビ・カトリシズム」と呼ぶ(p.75)。その特徴は、p.76
- 新しいタイプの社会主義の擡頭
- 地方分権化
- ヨーロッパ主義の巻き返し
- 被虐的な通貨政策
- 共和国の変質
- イスラム恐怖症
- 反ユダヤ主義
デモは、平等核家族の地域ではなく、直系家族な地方で盛んであり、階層的には中産階級の上層部が多い。つまり、「シャルリ」を支持したのは、これまで言論の自由に共感してこなかった人々で、言論の自由を盾に排他的な考えが強まっていると主張しています。
フランスでのムスリムは、人口は1割に満たたないマイノリティであることを指摘。しかも、同化も進んでいます。マイノリティの信仰を『冒涜する権利』はには、声を上げるのに、マイノリティが迫害されていることには無関心であることに疑問を投げかけています。
移民の2世、第3世はフランスに同化するので、イスラム教徒を恐れる必要はない。穏健な「ライシテ(世俗主義)」で折り合いをつければ良いとしていますが、どうでしょうか。
【参考】
http://mainichi.jp/articles/20160221/ddm/015/070/005000c