最強の経済学者ミルトン・フリードマン
Milton Freedman by Lanny Ebenstein
ラニー・エーベンシュタイン 日経BP 2008/1
本書は、2006年になくなった同教授の伝記です。経済学の世界だけでなく、アメリカ社会の強さを改めて感じさせてくれる本にもなっています。
フリードマンが学生だったときに、大恐慌が起きます。
大恐慌の最初の年、アメリカの国民総生産は、12.6%減少した。今からみれば急激なマイナス成長だが、当時の基準からすれば、それほど突出した落ち込みではなかった。失業率も1930年に9%悪化したが、前例のない水準ではなかった。1920~21年の失業率は12%、GNPは24%のマイナス成長だった。 p.156
この対応を通じて、ケインズ経済学ができ、フリードマンが中心となるシカゴ学派がそれに対峙します。
世界中の経済学者にとって『シカゴ』といおう言葉はは、都市の名前ではなく、大学のナマエでさえなく、ひとつの『学派』を意味します。『シカゴ』は、経済政策を論じるうえでは、資源を有効活用する手段として市場経済の効率性に信頼を置くこと、政府の経済介入を疑問視すること、物価の変動要因としてマネーサプライを重視することと同義です。p.173
ケインズについては、こんなコメントがありました。
ケインズの目的は、私と同じで、社会の幸福に貢献することだった。私はケインズを心から尊敬している。人間として経済学者としてすばらしい人だったと思う。大恐慌に関する仮説には同意できないが、学問というものは、仮説を立て仮説の誤りに気づくことで進歩していくものだ。p.140
同教授は、真剣勝負で議論に挑んだ方でもありました。
相手よりも相手の主張をしっかり理解しなければ、自分が正しいと断言してはならない。p.198
バブル崩壊後の日本に言及しているのは、このくだり
1992年以降、財政政策で次々と景気を刺激したが、金融政策は引き締め型だった。(……)過去6年間のマネーサプライの伸び率うは平均年2.8%。これは財政政策ではなく、金融政策が経済の報告を決めた好例である。p.274
サブプライム危機の最中、日銀総裁が空席になったと知ったら、フリードマン教授は何というでしょうか。
では。
【参考】
・ミルトン・フリードマンとの思い出
・The Age of Milton Friedman. by Andrei Shleifer February 2008