開発主義の暴走と保身
サブプライム以後、世界的に「国有化」トレンドですが、金融界も政府の関与が増えてきています。そもそも、金融ビックバンとは何だったのか。今回は危機対応として、危機後、日本の金融システムはどうあるべきなのか。を考える上で、非常に参考になりました。
開発主義とは、
産業化の促進を置く敵として政府が市場に対して介入するような政策レジームを指す。p.15
とし、その重要なツールが金融システムであったという認識で、戦後の金融システムの特徴を洗い出し、課題を指摘しています。
p.17にエクゼクティブ・サマリーがあるので、そこを読めば、論旨はわかります。
第一章では、金融取引の様式が定義されます。相対か市場か、直接か間接かという2つの軸でマトリックスを作ったときに、①市場型金融と②相対型金融という2つの類型が出てきます。p.47の表1-1 に理論的な比較表が掲載されています。
日本のキャッチアップ期には、②がフィットしました。しかし、それが終わり、イ)環境の変化に対応できなくなった大企業に変革迫ったり、ロ)革新的なベンチャー企業を生み出さなければならなくなったとき、②は無力でした。
20世紀末の閉塞感の中で、日本にはイとロが必要だった。だから、金融も②→①に移行するというのが橋本ビッグバンから、小泉改革だったと、私は理解しました。
その後、日本の金融システムが、②になったか。イとロが達成されたかというと?ですね。
p.40では、伝統的な比較金融システム論に対し、法制度の違い(Civil Law vs. Common Law )の話が出てきます。私は、金融システムが変わるためには、規制緩和だけでは不十分で、こうした法制度から企業文化まで含んだところが変わらないと、成果までたどり着かないと理解しました。
第2~4章では、そうした開発主義金融が持っていた問題が指摘されています。バブル発生、護送船団行政、金融危機に対して無力だったことのなど、最近すっかり忘れていたことを再度思い出させてくれます。
第5章では、政府と金融システムについて取り上げています。p.213に図5-1では、公的部門の資金が、日本全体で引き続き大きな割合を占めているのがわかります。
法人企業部門の負債(株式を含む)総額が519兆円であるのに大して、政府部門のそれは646兆円となっており、後者が前者を凌駕している。p.213
著者によると、日本の金融システムは、
政府の、政府による、政府のための金融システム p.205
になってしまっている。解説すると、
①政府の
金融システムに対する信任が、政府保証によって維持されたこと。
②政府による
金融仲介における公的チャネルの比重の大きさ。
③政府のための
最大の資金調達者が政府であること。
ということになる。
②→政策金融の見方については、p.215で議論しています。存在意義は4つ。
1.社会ビュー(Social view)
市場の失敗を補完する。
2.開発ビュー(Development view)
開発途上段階での問題解決には政府介入が有効である。(市場が発達していないため)
3.政治ビュー(Political view)
政治家が事故の目的を実現するための道具であるとみなす。
4.エイジェンシー・ビュー (Agency view)
官僚機構に伴うエイジェンシー費用を無視すべきでない。
これらを踏まえた上で、著者は、以下のように述べています。p.217
現在の日本経済において正当化される政策金融の規模はきわめて限定的なものだと思われる。(中略)政府系金融機関として残す部分については、役割(使命)の明確な定義と適切なガバナンス構造の確立を行うとともに、政府から得る財政援助の内容について厳格な経理と説明責任を課して、その予算制約がソフト化しないようにすることが重要である。
今回の危機対応と、本来のあるべき金融システムをしっかり見分けねばと思いました。
では。
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