コーヒーと日本人の文化誌 メリー・ホワイト 創元社 2023
Coffee Life in Japan (2012) Merry White
著者は、ボストン大学教授(人類学)。日本でフィールドワークに長年取り組み、2013年には旭日中綬章を受章。
Baseballと野球が違うように、Coffeeと珈琲も違っていた。1888年に「可否茶館(かひさかん)」が開店してから、日本人が珈琲とどう向き合ってきたかをたどることで、日本文化を考察している。豆から飲み物を抽出するだけのはずが、日本人がどのようにコーヒーを淹れ、どのように喫茶店を使ってきたかを追うことで、日本文化が浮き彫りになる。
はじめに
第一章 都市空間の中のコーヒー──日本の都市に見る喫茶店の姿
第二章 日本の喫茶店と歴史──先入観を覆すコーヒー文化
第三章 モダンを追い求める「情熱工場」
第四章 マスターたちの世界観──完璧を追い求める人たち
第五章 「日本のコーヒー」が生まれる理由
第六章 「日本のコーヒー」とは何か──現代の喫茶店で味わう食文化
第七章 都会の不思議な公共空間──家庭でも職場でもない第三の居場所
第八章 自分だけの居場所を見つける
終 章 新しい体験を提案しつづける場所──日本のコーヒーとコーヒーのある空間の新たな関係
可否茶館を創業した鄭永慶は、16歳の時にイエール大学に進学した。ニューヨークでコーヒーハウスを見て、帰国の途中でロンドンに寄る。フェンチャーチストリートの「ランボーンコーヒーハウス」やピカデリーの「カフェロイヤル」を訪れた。帰国後は大蔵省で働いた。日本初の大衆的な喫茶店を開いたのは、大蔵省OBだったとは知らなかった。欧州との違いは、
酒場を前身とするヨーロッパのコーヒーハウスとは違い、日本の喫茶店は、かつて道端にあり旅人が利用していた茶屋と深いつながりがある。
たしかに、アムステルダム最古の「Cafe」はビールを飲むところだ。初期の喫茶店を発展させたのは新しい中間層だった。
この時代の「新しい男性」たちは、古臭くて保守的な都市の茶屋(茶店)ではなく、自分らしさを発揮でき、情報のやり取りもできる公共の場を探し求めていた。やがて、「新しい女性」もそうした場所探しに加わった。こうして一九世紀末までに、近代的な公共の場所は、茶ではなくコーヒーという新たな飲み物のある空間となり、それが都市景観の一部となっていったのだある。
なんだか、初期のSNSのようではないだろうか。承認欲求はいつの時代も変わらない。江戸から日本になる過程で生まれた「個人」に寄り添ったのもコーヒーだった。
一人きりで過ごす〟という新たな体験も含まれていた。この近代的孤独の体験は、キャバレータイプ以外の喫茶店で楽しむことができ、コーヒーは、この新しい孤独に味わいを添える飲み物だった。実のところ、喫茶店の持つ近代性とは、まさしく人前で他人に干渉されずに過ごせるという体験にあった。つまり、すべての「第三の居場所」が、居心地のよい交流の場やコミュニケーションを目的とした場所である必要はなかったのである
これも一人で楽しめるネットに似ている。
また、イエメン原産のコーヒーは、生まれながらにグローバルな飲み物だった。
かつてブラジルに渡った日本人労働者たちは、のちにブラジル優勢のコーヒー産業を日本に確立する上で重要な役目を果たしただけでなく、ブラジルのコーヒー生産者と日本のコーヒー販売業者が関係を築く際の橋渡し役も務めた。ブラジルにおけるコーヒー生産に貢献して、日本で最初の「コーヒーの権威」となったのは水野龍である。彼は、日本からサンパウロ周辺地域にあるコーヒー農園で働く移住労働者のための移民事業を立ち上げ、ブラジルコーヒーの発展と普及に尽力した人物である。一九一一年に東京で日本初のブラジルスタイルの喫茶店「カフェーパウリスタ」を開業し、一九一三年までに関東と関西に二〇店舗以上の支店を展開した
このブラジルスタイルの喫茶店が、1913年までには上海にも店を構えるようになり、世界初のグローバルなコーヒーチェーン店になった。
また、オランダ名物「ブラウンカフェ」(木製の内装と調度品を特徴とするノスタルジックな店)が、1920年代の日本にもあったのも、知らなかった。
日本の喫茶店の魅力を著者はこのように語る。
日本の喫茶店の魅力は、何をおいてもその持続性と新奇性にある。こうした魅力を持つ場所が変わらず持続できるのは、休息または普段の生活とは違う交流の場にふさわしいコーヒーのある空間だからだと言える。
戦後の民主化の舞台になったり、学生運動の拠点になったり。ノーパン喫茶まで調べているのは苦笑するしかない。
直系家族を感じるのは「マスター」の存在だ。
「こだわり」、つまり求められる品質に対して完璧を追い求める強い思いは、コーヒーのつくり手だけでなく、日本のどの手工業の分野にもいる熟練した職人が常に掲げる永遠の目標でもある。この店のマスターのこだわりも、仕事への献身、サービスの構成要素、コーヒーづくりのスキル、そしてそれらをとことん追求しようとする姿勢から滲み出ていた
英国紅茶協会から表彰された日本人について触れている。日本語の「こだわり」を英語に訳すのも難しい。
味わい深いコーヒーは、技術だけで淹れられるわけではない。飲む人に対する思いやりと気遣い、そしてつくり手自身の思いが味わいの一部に含まれるという自己意識も必要となる
『おいしいコーヒーのいれ方』
「おしぼり」もこの文脈で理解できる。それは、例によって、生き様にまでつながっていく。蔦珈琲店のマスター曰く、
喫茶店の経営は単なるビジネスではないと考えている。彼は、自分にとって店は人生そのものであるばかりか死に場所でもあり、忠臣蔵の赤穂浪士のように、任務を全うした状態で逝きたい
ハリオなどの日本企業の精密化されたコーヒー器具は、海外でのコーヒーの淹れ方に影響を与えているばかりか、今日では、日本製のものは世界のコーヒー器具の頂点に位置づけられている。マシンよりも手作業を好むのは、いつもの日本流だ。
日本化を促進させる文化的融合は、たとえるなら細かい孔がたくさん空いているスポンジのように、外からの刺激を吸収しやすい。日本は伝統を重んじる保守的な社会に見えるかもしれないが、いったん慣習の壁を超えてしまえば、ほぼ抵抗なく新しい物事を受け入れる。これは、何でも簡単に受け入れてしまうという意味ではなく、目新しい物事を嗜好というフィルターを通して、自国の慣習との調和を図るのである。
訳者あとがきで、スタバでの経験が綴られている。
「スターバックス」で、店員が一人一人の客と気さくなやり取りをしていること、ドリンクとコーヒーの種類が豊富にあること、ドリンクのカスタマイズができること、食べ物はスコーンやバナナブレッドなどちょっとしたものしかないこと、店内は全面禁煙であることなどに驚いた。私はそれまで、常連客でもなければ、基本的に喫茶店やカフェの店員と客の間には、オーダーに関すること以外の会話がないのは当たり前だと思っていた。エスプレッソベースのドリンクメニューは見たことがなかったし、ドリンクのカスタマイズなど聞いたこともなかった。同じくらい広々とした日本の店なら、だいたい食べ物のメニューが用意してあり、店内はタバコの煙で充満していた。日本では、気に留めたこともないまま受け入れてきた事実がたくさんあることに気づかされた。
日本発のカフェチェーンは世界を制覇できるだろうか。