【本】誰も語らなかったフェルメールと日本

誰も語らなかったフェルメールと日本 田中英道  勉誠出版 2019

日欧文化交流を通じた日本文化論。フェルメールは17世紀のオランダ画家です。作品数は少ないのですが、日本人に好かれる画家ですね。

欧州の美術館を見てわかるのは、①無数の画家がいたこと、②有名画家でも駄作があること、③天才が歴史を変えたことです。

 ルネサンス3大画家が出てくるまで、絵画は文盲の農民にキリストの偉大さを伝えるために教会が発注していた紙芝居でした。マリア様は世界最強のインスタグラマーでした。

 それが、ルネサンスで突然、絵に生命が吹き込まれます。ダ・ヴィンチやミケランジェロの絵は、500年後に観ても画期的で、私が美しいと思うものは、彼らが決めたと思うほどです。

 そこから150年経った頃のオランダ人は、「平民」を描くようになりました。王様や教会ではなく商人が割り勘(Dutch)で絵を発注するようになりました。その時代を代表する2人画家。レンブラントが影を描写するのに対して、

フェルメールが描くのは「夜の光」ではなく「昼の光」です。

p.47

何をアタリマエのことを思うかもしれませんが、それまでの西洋画の光は「神の光」であって、窓から入るような自然光ではなかったのです。

Gezicht op Delft

それは、真珠の耳飾りの少女の光にも共通します。

Het meisje met de parel

説明なしでも十分美しい絵ですが、真珠も東洋からもたらされた富の象徴でした。ターバンは中東の衣装。少女の顔も典型的な白人ではありません。東洋顔ですね。

よくみると首のうしろに、日本の着物のような襟があるのです。このフェルメールの『モナ・リザ』といわれる少女が、日本の着物「ヤポンセ・ロック」を着用していたのです。

p.151

 オランダのリーフデ号が日本の漂着したのが1600年。1635年に鎖国した後もオランダとの取引は続き、絵が描かれたのは1666年。60余年の交易が、フェルメールの画才にインスピレーションを与えました。

年表 | 江戸時代の日蘭交流

 オランダは小さな国ですが、こんな素晴らしい画家を生んだかと思うと、時代の息吹って偉大だなぁと思いました。