春晩とグラミー

中国の紅白、春節聯歓晩会とグラミー賞を観ました。日米貿易摩擦の行方を暗示しているようで、興味深かったです。

両者は、ともに国民的な音楽番組ですが、その内容は好対照です。家族類型でいえば、中国は共同体家族。権威を認め、結果の平等を求めます。アメリカは真逆の絶対核家族。権威を認めず、結果の差を受け入れます。

春晩は、全編にわたって、プロデューサーの権威を感じる構成でした。司会者は非の打ち所のない美男美女、秒刻みの完璧な進行。平等という意味では、団体芸中心です。総勢何人出演したの?というほどの人力なステージ。主役の力はあるんですが、全体が揃うことに美学がありました。

一方、グラミーの司会は、女性ひとり。フレンドリーな進行で、個人に権限が与えられています。プロデューサーの演出が気に入らないと、歌手が出演拒否するは、トランプ大統領が目の敵にする前大統領の嫁を呼ぶは、自由な感じです。春晩の本番で歌手が、習近平主席の政敵の妻を呼ぶなんて、想像できません。

受賞者もバラバラで、ステージも、各自の腕次第。それで、ひとつのパフォーマンスになるほど、個々人の力量が高いわけなのですが。

音楽祭をやらせても、これだけ違うのですが、貿易の交渉も、同床異夢になると想像しました。処方箋は、距離置くこと(お互い混ぜずに、それぞれ別の番組で続けること)なのでしょうが、今年はどうなるでしょうか。

では。