バンコク:貧富の角度

3ヶ月ぶりの空港は、相変わらず混んでいた。地の利で世界一訪問者が多い都市になってしまうところが、バンコクの長所であり、リスクでもある。

市内への鉄道に乗ろうとして、ラビット・カードを買おうとしたが購入できなかった。BTSだけで使えるのであり、相互利用はできていない。鉄道は、急行運転の試行はしていたが、まだ各駅停車のみ。

BTSからは、高層コンドミニアムと廃屋が交互に見える。通常、列車は、地価の高いところを通るため、こうした廃屋は整理されるはずなのだが、建つのは高層コンドミニアムばかり。こちらは、東京と変わらないおしゃれなコンドなのだが、社会的な危険をはらんでいる。

私が、50カ国を歩いてきて最も危険を感じたのは、2000年のコロンビアではなく、サンフランシスコだった。貧富の格差が社会問題課するかは「斜度」による。たとえジニ係数が高くても、金持ちと低所得者が離れて住んでいれば(低い斜度)であれば、暴動にはならない。しかし、隣に住んでいれば(高斜度)になれば、低所得者は、毎日、格差を感じて暮らすことになる。

世界で最も人が集まる都市で、歴史的な低金利の時期に、高層コンドを作り、外国人価格で売れば、儲かるのは当たり前。それをバンコク中で野放しにしたら、そこらじゅうで格差が可視化され、斜度が急激に高くなる。

ホテルに着くと、そこにはOnsenがあった。かつて、東南アジアからの留学生に最も抵抗が高い日本アクティビティが、入浴だった。あの慎み深い日本人が、なぜお風呂は、マッパで入るのか。あんな恥ずかしいことはできないというのが、相場だった。あれから30年。メインターゲットは、日本人だとしても、日本のスーパー銭湯的な施設が、東南アジアに広がっているのは、隔世の感ある。

とある不動産会社を訪問したところ、アメリカ西海岸のIT企業のようなオフィスになっていた。ステージでは、プレミアムフライデーのイベント開催中。30年前のタイの歌といえば、Sabaiだった。今、バンドで歌っているのは、アメリカのポップス(英語)。

2000年に、ケニアのナイロビを往訪した時、国はそれぞれ違っても、都市は世界的に似てきている(都市のフラット化)をお伝えした。それから18年。世界の都市は、さらにフラット化している。

シーロムで食事。Hooters発見。そっち系は、バンコクが世界的な競争力を持っているが、ついに殴り込み?それともバブルのシグナルなのか。

食事を終えて、メーター・タクシーに乗る。のっけから、運ちゃん、値上げ交渉。金曜日だから混むので、余計に払ってくれとのこと。こういう交渉が煩わしいから、メータータクシーを選んでいるのにとは思いつつ。庶民の暮らしが、厳しいのを感じた。

翌朝。市内を歩くと、清掃員。景気は良いとはいえ、政府が仕事を作らないといけない。駅前のビルの路面店に空きが目立つ。こんなに高層ビルが建っているのにおかしな現象。

細い道に入ると、歩道がありえないぐらい狭い。道路の補修もできていない。空港、ショッピングセンター、ホテルなど、お金が回っているのは、上位10%の富裕層が行きそうなところで、下位20%の人普段使うところに回っていない感じ。

建設労働者が、トラックの荷台で運ばれていく。シンガポールと同じ。

地下鉄の駅に入ると、oppoが広告ジャック。かつてのサムスンのような勢い。何のヒネリもない、美人が携帯をおすすめするポスターに清々しさを感じる。

お寺の周りに、物乞いが集中していた。こんなに近代化したバンコクでは、喜捨の気持ちは、お寺を見ないと思い出さなくなったのかもしれない。

コンドに併設されているコンビニに入ると、商品のレベルが上っていた。弁当は見栄えが改善していたし、スイーツが日本に近い味になってきた。タイ産のあきたこまち(5kg)まで売っている。やっぱり、上位10%向けには、資金が潤沢に回っている。

シーロムの屋台へ。数は減った。椅子に座って食べられるところがない。バーミーナム40バーツ(150円)。路上の屋台を制限するのは誤った政策ではない。しかし、それは、売店の家族が、フードコートに移れるほど豊かになっていくのが十分条件。それが今のタイには欠けていた。